わたくし的には 第3回 〜電車で業(ごう)〜

わたくし的には 第3回 〜電車で業(ごう)〜 電車の中でのマナーが、いろいろなところで言われ続けている。 ひと昔前、ちょっと反社会的な人物や、昔で言うところの愚連隊的な人物が、電車の中でふんぞり返って座っていたとする。これらの人物は、なぜふんぞ…

詩 第3回 〜元気じゃなくっていい〜

みんな他人のせいにしてしまえ 泣いて 泣いて 泣いてしまえ ののしって ののしって ののしってしまえ わめいて わめいて わめいてしまえ みんな 他人のせいにしてしまえ ぜんぜん かまうことはない 泣いて 泣いて みんな 他人のせいにしてしまえ ぜんせん か…

食ったものはいつか転生す 第3回 〜日本そば屋の五目中華〜

高級であるかまあまあ中級の中華料理店では、中華料理だけが品書きに載っているものだが、大衆的な中華料理屋だと、親子丼だとかカレーライスだとか時にはオムライスなどが品書きに見える。 周囲にあまり食べ物屋がないような郊外の店であれば、客の要請に応…

音楽の力を信じて 第3回 〜生まれ変わったら何の楽器?〜

生まれ変わって何か別の楽器をやることができるとしたら、何がいいか。そんなことを考えることがある。 いつもそれは打楽器である。もちろん、わざわざ生まれ変わらなくても、来世は鳥になりたいとか、虫にだけはなりたくないとか、鼻が高く生まれたいとかい…

うつなる人へ 第3回 〜人に頼るということ〜

「うつ」という状態は心が悲鳴を上げている状態ですから、自力で回復させることは簡単なことではありません。心の問題であるため「自分の心のコントロールを自分でする」ということは、骨折した手で骨折した手を治療するようなものかもしれません。 そこで、…

こんなものを作って食った 第3回 〜シルクロードのラグメン〜

1990年と2000年の2回、中国の北京からパキスタンのイスラマバードまでのシルクロードを、鉄道とバスを使った陸路の旅をした。 その時、新彊ウイグル自治区のウルムチやカシュガールで何度も食ったのがこのラグメン。ウイグル族を中心としたシルクロードのイ…

旅のそぞろ神に引かれて 第2回 〜人民解放軍のお宿〜

旅のそぞろ神に引かれて 第2回 〜人民解放軍のお宿〜 値段は安いけれども環境は最悪、という宿に泊まった最初はインドのお宿だった。 初めての海外旅行で、一人旅で、往復の航空券の予約だけで、短い日程で、インドのデリーからカルカッタまで汽車の旅という…

酒の追憶 第3回 〜コップ半分のビールと同期Rの思い出〜

酒の追憶 第3回 〜コップ半分のビールと同期Rの思い出〜 私が新卒の頃はまだバブル景気の最中にあって、卒業式直前に応募してすぐに入社が決まった業界新聞社でも、会社の規模の割りにはたくさんの新卒者を採用していた。 その中にRという男がいた。中背でや…

僕のTOKYO1964 第3回 〜五島プラネタリウムの夕暮れ〜

1964年生まれの私が小学校3、4年の頃だから、1970年代の半ばだろう、渋谷の五島プラネタリウムに毎月のように通った。 ひんぱんに行くようになったきっかけは忘れてしまったが、いつも同じ社宅の1つ2つ年上の子らと一緒に行ったのだから、彼らに誘われたもの…

私の戦争1964 第2回 〜3月10日 母が体験した東京大空襲〜

私の母が子ども時代を過ごしたのは、現在の墨田区向島付近、戦前の向島区寺島町界隈であった。 大正時代、おそらく関東大震災後の復興を期に、会津から出て来た私の祖父と、同じく会津から出て来た祖母との間に生まれた。 祖父は電気の専門学校、祖母は看護…

こんな映画を観た 第2回 〜中国映画を観た頃〜

1988年だと思うが、渋谷のユーロスペースで『紅いコーリャン』(1987年、張藝謀監督)を観たのが、こののち続々と上陸してくる中国映画の名作に夢中になった最初だった。 この年、神保町の岩波ホールで『芙蓉鎮』(1987年、謝晋監督)のロングラン上映が話題…

わたくし的には 第2回 〜放送や新聞では「やばい」と言って欲しくない〜

時事通信社発行の『記事スタイルブック』(1989年)の中に「差別語・不快語」という項があり、その中で「特殊な分野や世界で使われる隠語やスラング、その他、品位を落とし、読者に不快感を与える語句はなるべく使わない」として、サツ、デカ、ブタ箱、チク…

食ったものはいつか転生す 第2回 〜祭りの夜店のフライ〜

毎年7月1日の富士山の山開きに合わせて、東京の本駒込にある富士神社ではその前後に祭礼が行われる。駒込界隈では「お富士山(あるいは「お富士さん」か)と呼ばれていた。 私は限りなく巣鴨に近い駒込の生まれ育ちで、富士神社は限りなく駒込に近い本駒込に…

詩 第2回 〜ひとりでいるのもわるくない〜

ノクターン マスネのタイスの瞑想曲 シューマンのトロイメライ パッヘルベルのカノン バッハのG線上のアリア マスカーニのカヴァレリア・ルスティカーナの前奏曲 ドビュッシーの月の光 ポンキエッリの時の踊り リムスキー・コルサコフのシェエラザードの若い…

音楽の力を信じて 第2回 〜クラシック音楽って何だろう〜

クラシック音楽って何だろう。そんなことを考え始めたのは、吹奏楽で演奏する音楽ジャンルの中でも重要な「ポップス」についてのルーツを考えようと思ったからだ。 ポップス、ポピュラー音楽、軽音楽などといわれる音楽は、日本はもちろん今では世界中にあふ…

こんなものを作って食った第2回 〜北京の牛肉麺〜

旅先で食ってうまかったものを、日常生活の中で時たま作って食うのは結構愉しい。いや実に愉しい。大きな心の慰めになる。麺類なら、中央アジアはウイグル料理のラグメンを、そして北京でよく食った牛肉麺を作って食う。 1、麺は小麦粉だけで作る。薄力粉を…

沖縄4日間の旅 第7回最終回 〜沖縄の戦地に咲く花を見た〜

沖縄を去る日の朝も、大音声(だいおんじょう)放送には気づかずに目覚めた。 布団の上に寝転んだまま、窓から入ってくるさわやかな風を顔に受け、昨晩、那覇市内の小さな台湾料理屋で酔いしれたことを思い出す。シジミのニンニク醤油漬けの強烈な香りも記憶…

うつなる人へ 第2回 〜自分のタブーを破ってしまえ〜

うつになるような人は、たいていまじめな人です。 もし人からは、それほどまじめに見えなかったとしても、心の中はまじめで繊細で、人前ではそう見えないよう演技をしているのです。無理にでも演技をしている。 また、ざっくばらんな人であっても、あまりに…

旅のそぞろ神に引かれて 第2回 〜魔法のコーヒーを出すインドのチャイ売り〜

インド・イスラム文化圏では体調が万全でないと、たちまち食う気が失せてしまう。弱った体には、香辛料と油脂がたっぷりの食事はなかなか受け付け難いからだ。そんな時には、甘いミルクティーが実にありがたい。私は、インドに1度、パキスタンに2度旅行して…

沖縄4日間の旅 第6回 〜この日嘉手納基地は静かだった〜

昼飯は、また梅原君おすすめの沖縄そば屋へ行った。私としては、沖縄にいる間にできるだけたくさんの沖縄そばを食いたいので大歓迎だ。 この店もそうだが、多くの飲食店はそのたたずまいが本土の飲食店とはだいぶ違う。少なくとも東京周辺には見られないもの…

僕のTOKYO1964 第2回 〜渋谷道玄坂下夜の鳩〜

何の見通しもないまま、疲れ果てて、勤め人を辞める少し前の頃だ。赤坂の旧知の店で一人飲んで、終電を過ごした。 渋谷までタクシーを飛ばせば、そこから西北へ走る電車が一本くらい残ってやしないかと思った。けれども、道玄坂の下、渋谷という谷のいちばん…

沖縄4日間の旅 第5回 〜沖縄はいつも故地が隣に〜

沖縄3日目の朝を迎えるにあたって、梅原君から事前に2つの助言があった。 1つは、朝7時の「朝のあいさつ」大音声屋外放送は不思議と3日目には気づかなくなり、寝坊するにしても睡眠に差し障りがなくなるということ。 もう1つは、民宿の朝食は、予告された時…

酒の追憶 第2回 〜パイカルと呼ばれた酒〜

中国の酒というと、たいていはいわゆる紹興酒を思い浮かべるのではないかと思う。紹興酒は、中国の酒の中で「黄酒(ホワンチュウ)」に分類されるもので、米を原料とした黄色というよりは茶色をしている醸造酒で、華中から華南にかけて醸造され消費されてい…

私の戦争1964 第1回 〜戦争が終わって19年後に生まれた私〜

私が生まれた1964(昭和39)年は、東京オリンピックが開催され、日本が高度経済成長に突入していった年である。 その19年前の1945(昭和20)年8月15日に戦争が終わった。 1931年に起こった満州事変、1937年の盧溝橋事件から続いた中国との戦争の終わりであり…

沖縄4日間の旅 第4回 〜アヅマの旅人の感覚〜

やって来られた考古学研究者は名護博さんという、沖縄本島出身の方で本職は農学博士だ。私が滞在している短い間にお会いできたというこの偶然は、私にはまったくの幸運であった。名護先生とは翌日朝に再会して、沖縄の古代史をこの玉城の地にある遺跡を訪ね…

こんな映画を観た 第1回 〜すてきな中谷一郎さん〜

この俳優の名を聞いて、すぐに誰か分かる人は、なかなかの映画ファンではないだろうか。そして、ある程度の年輩の方であれば、テレビの『水戸黄門』で「風車の弥七」をやっていた役者として思い出すのではないか。 私も邦画を自分で積極的に観るようになるま…

沖縄4日間の旅 第3回 〜おばあのバナナ牛乳〜

「皆さん!! おはようございます!!!」という、窓外からの大音声(だいおんじょう)が耳に飛び込んできた。 思わず「ううっ」とうめいて、眼鏡を掛けないまま、枕元の携帯を手探りで探し引き寄せ、顔にうんと近付けて見る。午前7時。“元気いっぱい”の声は…

わたくし的には 第1回 〜原発の問題は哲学の問題〜

天災は、天から降ってくる災いだから、大地震も津波も発生そのものを抑えることはできない。これはもう何万年前、何百万年前から繰り返し起こっていることだ。 もちろん、その被害を最小限にしたり被害者を救済することは、政治や社会の役割であるから、それ…

沖縄4日間の旅 第2回 〜本土からの客〜

那覇バスターミナル近くのその居酒屋は建物の1階にあり、オープンテラスのような席も外に設けてあるが、店内は東京にあるような大きな居酒屋と変わらない。ただ、周囲には他に店もなくビルもなく、人影も外灯も少ない中にぽつんと居酒屋だけがある。しかし店…

食ったものはいつか転生す 第1回 〜私的おでん年代記〜

おでんが好きで、秋から春にかけて何回も作って食う。けれども子どもの頃は、家で食うおでんをうまいと思ったことはなかった。どうも、おでんが飯の菜にならなかったからである。 今は酒の肴におでんを作る。私は家では酒を飲まないが、おでんを作った時には…