うつなる人へ 〜うつがツレになってしまったら〜

なぜうつ病やうつ状態になってしまうのか、その原因はいろいろと言われていますが、さまざまな要因が重なり合っているようです。持って生まれた体質や性格もあるかも知れません。 私はうつは持病のようなものだと思っています。 私は、持病として痛風を持っ…

うつなる人へ 〜どうしてこんなに気分が変わるのか〜

うつというのは、心の問題の中でも「気分」の点が障害になっているものです。 聞こえないものが聞こえたり見えないものが見えたり、といった幻覚を伴うわけではなく、異常な空想をするような妄想もなく、意識が失われたり、記憶が失われたりするわけでもあり…

うつなる人へ 〜自分のタブーを破ってしまえ〜

うつになるような人は、たいていまじめな人です。 もし人からは、それほどまじめに見えなかったとしても、心の中はまじめで繊細で、人前ではそう見えないよう演技をしているのです。無理にでも演技をしている。 また、ざっくばらんな人であっても、あまりに…

うつなる人へ 〜自殺予防の方法はあるか〜

どうしたら自殺を防ぐことができるだろうか、といつも考えています。 ある時、私の知人に、その方法を尋ねたら、こう答えました。 柔道の技を使って、関節を外したり、場合によってはけがをさせたりして、体が動かないようにする、と。 これは冗談ではありま…

うつなる人へ 〜人に頼るということ〜

私自身が、いわゆる「うつ病」を患っていたのと、厚生労働省2001年認定「初級産業カウンセラー」(メンタルケア)資格と中央労災防止協会2002年認定「心理相談員」資格を持っていること、他にいくつかの精神保健に関する研修(精神対話士、いのちの電話相談…

『作品集二』を発行致しました。

『作品集二』を発行致しました。『作品集一』を発行したのが昨年の9月20日でしたので、1年以上も空いてしまいました。 今回も前回同様に、これまでこのブログ等で書いてきた随筆のシリーズから自選して手を入れ、原稿用紙に手書きし、コピーして綴じたもので…

プラネタリウムの日暮れ

1964年生まれの私が小学校3、4年の頃だから、1970年代の半ばだろう、渋谷の五島プラネタリウムに毎月のように通った。 ひんぱんに行くようになったきっかけは忘れてしまったが、いつも同じ社宅の1つ2つ年上の子らと一緒に行ったのだから、彼らに誘われたもの…

『糸井ちゃんせんそうのお話してあげる』

『糸井ちゃんせんそうのお話してあげる』(八木義之介著、蒼海出版 1971年8月30日第二版発行)は、おそらく私 が戦争というものを考える大きなきっかけとなった絵本です。 糸井ちゃんという、小さな女の子が、お父さんに連れられて“せんそうばし”を渡って、…

シルクロードのラグメン

1990年と2000年の2回、中国の北京からパキスタンのイスラマバードまでのシルクロードを、鉄道とバスを使った陸路の旅をした。 その時、新彊ウイグル自治区のウルムチやカシュガールで何度も食ったのがこのラグメン。ウイグル族を中心としたシルクロードのイ…

『父と暮らせば』で嗚咽するだけじゃだめだ

初めて観た芝居は、劇団こまつ座の『父と暮らせば』(1994年9月新宿・紀伊国屋ホール、すまけい、梅沢昌代主演)だった。 その10年後に、映画化された『父と暮らせば』(2004年、黒木和雄監督、宮沢りえ、原田芳雄主演)を観た。 この映画の方には縁があった…

フライ屋

七月一日の富士山の山開きに合わせて、毎年、東京の本駒込にある富士神社ではその少し前に祭礼が行われる。駒込界隈では「お富士山(あるいは「お富士さん」か)と呼ばれていた。 私は限りなく巣鴨に近い駒込の生まれ育ちで、富士神社は限りなく駒込に近い本…

音楽の力を信じて 第4回 〜高校吹奏楽部の思い出〜

私が入った高校は、東京の北の外れにある都立高校で、創立してからまだ新しく私は第七期生であった。 入学式後、数日もしないうちに私は楽器の音を頼りに練習場所へ行ってみた。しかし、そこは音楽室ではなく家庭科室であった。あたたかく歓迎してもらってさ…

3月10日 母が体験した東京大空襲

私の戦争1964 第2回 〜3月10日 母が体験した東京大空襲〜 私の母が子ども時代を過ごしたのは、現在の墨田区向島付近、戦前の向島区寺島町界隈であった。 大正時代、おそらく関東大震災後の復興を期に、会津から出て来た私の祖父と、同じく会津から出て来た祖…

音楽の力を信じて 第6回 〜旅と音楽〜

旅をする時に、音楽を携行するだろうか。私は、何回か持って行ったことがある。旅行中、何か一つだけCDやテープを持って行くのだが、それだけを旅のあいだ中ずっと聴いていると、旅の場所や状況とその音楽の間に何の関連性がなくとも、いつの間にか両者が不…

自筆で原稿用紙に書いた随筆作品集(のコピー)の「一」が完成しました

皆様いつもありがとうございます。 以前から予告しておりました、私がこのブログや以前にあったホームページなどで発表してまいりました随筆を、自筆で原稿用紙に書いた作品集(のコピー)の「一」ができあがりました。 「焼酎の牛乳割り」「プラネタリウム…

食ったものはいつか転生す 第4回 〜私的シシカバブ年代記〜

先日、大久保にある中国東北地方の延辺料理を出す店で、羊肉串(ヤンロウチュアン)を、友人らと食った。旧友のI氏は、まさに中国出張から帰ってきたばかりであり、また、北京留学では私より先輩であることもあって、これらの場所で食べた羊肉串の思い出など…

私の戦争1964 第5回 〜『糸井ちゃんせんそうのお話してあげる』〜

『糸井ちゃんせんそうのお話してあげる』(八木義之介著、蒼海出版 1971年8月30日第二版発行)は、おそらく私 が戦争というものを考える大きなきっかけとなった絵本です。 糸井ちゃんという、小さな女の子が、お父さんに連れられて“せんそうばし”を渡って、…

私の戦争1964 第4回 〜ソ連軍侵攻の日〜

広島に原爆を落とされた日、長崎に原爆を落とされた日、終戦記念日。8月は先の大戦にまつわる日が続く。戦争のことを考え続け、伝えることが私の執筆のテーマの一つであるため、自分自身とこれらの日の関わりを、今日も考える。 今日、8月9日は、1945年にア…

私の戦争1964 第3回 〜『父と暮らせば』で嗚咽するだけじゃだめだ〜

初めて観た芝居は、劇団こまつ座の『父と暮らせば』(1994年9月新宿・紀伊国屋ホール、すまけい、梅沢昌代主演)だった。 その10年後に、映画化された『父と暮らせば』(2004年、黒木和雄監督、宮沢りえ、原田芳雄主演)を観た。 この映画の方には縁があった…

ブログはしばらく不定期掲載になります

先月の半ばから、今日まで毎日ブログと称して自分の随筆などを掲載してまいりましたが。来月からは、不定期の掲載になります。 暑くって疲れちまったのもありますが、自筆原稿(のコピー)の自選集(数編だけ)の自費出版(コピーを綴じるだけ)を計画してお…

ブログはしばらく不定期掲載になります

先月の半ばから、今日まで毎日ブログと称して自分の随筆などを掲載してまいりましたが。来月からは、不定期の掲載になります。 暑くって疲れちまったのもありますが、自筆原稿(のコピー)の自選集(数編だけ)の自費出版(コピーを綴じるだけ)を計画してお…

旅のそぞろ神に引かれて 第5回 〜大陸の厠(かわや)〜

これから書くのは、甚だ汚穢(おわい)な話である。厠(かわや)の話である。真夏にふさわしい恐怖の話しである。 北京の留学生楼(宿舎)の厠は、北京にある厠の中では相当にきれいな方であった。 楼の厠は水洗式だったが、紙を流すことは禁止されており、…

音楽の力を信じて 第5回 〜音楽の間と魔〜

落語が好きでたまに寄席(よせ)に行くことがある。どの寄席でも三時間くらいのプログラムで多数の噺家が主演し、合間には漫才や曲芸などの色物(いろもの)が芸を競う。 早い時間に出てくるのは、前座や二つ目などこれから芸が伸びていくとされる芸人で、プ…

こんなものを作って食った 第5回 〜『暮しの手帖』ふう札幌のラーメン〜

私の親の手許に、創刊第22号から20年ほど前までの『暮しの手帖』が揃っている。『暮しの手帖』は戦後間もなく創刊した希有の編集方針を持つ生活雑誌だ。広告を掲載しないことによって、食品から日用品、雑貨、電化製品まで厳しい商品テストをしてその結果を…

音楽の力を信じて 第4回 〜高校吹奏楽部の思い出〜

私が入った高校は、東京の北の外れにある都立高校で、創立してからまだ新しく私は第七期生であった。 入学式後、数日もしないうちに私は楽器の音を頼りに練習場所へ行ってみた。しかし、そこは音楽室ではなく家庭科室であった。あたたかく歓迎してもらってさ…

うつなる人へ 第4回 〜自分は世の中に合わないのか〜

うつになるとほとんど誰でも、まず自分のことを責めてしまうものです。自分がダメな人間だと思い込んでしまうこともあります。あるいは、何でもないことでも不安に感じたり、何もかもがマイナスに思われたりします。 そして「自分は世の中に合わないのか」と…

こんなものを作って食った 第4回 〜スパゲティー・ミートソース〜

前回に書いたラグメンが、シルクロードを通って西へ西へと行って、イタリアにたどり着いて、スパゲティー・ミートソースのような料理になったと想像するのは楽しい。 それにしても、1960年代から70年代に育った者にとって、このスパゲティー・ミートソースは…

旅のそぞろ神に引かれて 第4回 〜真夏の黄色いサクランボ〜

小学校二年生の夏休みに初めて伊豆七島の新島へ行った。それ以降、父が島への旅が気に入ったのか家族旅行で神津島、三宅島、八丈島を訪れた。 父の郷里の信州へ行くなど通常の旅行であれば朝に家を出発するが、これらの島へ船で渡るには、夜に家を出発して翌…

私のTOKYO1964 第4回 〜すがもこまごめこまごめすがも〜

「すがもこまごめこまごめすがも」というのは早口言葉だ。早口としては甘いが、巣鴨と駒込という地名を詠み込むための早口言葉なのであろう。どちらも山手線の駅名になっているくらいだから、東京に住んでいる人なら聞いたことがあるだろう地名だ。 この早口…

こんな映画を観た 第3回 〜さようなら黒澤映画〜

2010年の11月から12月にかけて「生誕百年 映画監督 黒澤明」という特集上映が、東京国立近代美術館フィルムセンターで開催された。黒澤明監督の全作品と脚本作品の上映があった。 私はこのとき、仕事が一段落した12月上旬から観たが、1日に3本の各回入れ替え…