こんな映画を観た 第3回 〜さようなら黒澤映画〜

 2010年の11月から12月にかけて「生誕百年 映画監督 黒澤明」という特集上映が、東京国立近代美術館フィルムセンターで開催された。黒澤明監督の全作品と脚本作品の上映があった。
 私はこのとき、仕事が一段落した12月上旬から観たが、1日に3本の各回入れ替えというシステムで、3本を続けて観ると、休憩時間を入れて朝から晩まで12時間くらいそこにいることになる。これは大変な難行であった。
 この時に私が観たのは、特に好きな作品を選んで「酔いどれ天使」(1948年)「野良犬」(1949年)「生きる」(1952年)「生きものの記録」(1955年)「蜘蛛巣城」(1957年)「どん底」(1957年)「隠し砦の三悪人」(1958年)「悪い奴ほどよく眠る」(1960年)「用心棒」(1961年)「椿三十郎」(1962年)「天国と地獄」(1963年)「赤ひげ」(1965年)「どですかでん」(1970年)「デスル・ウザーラ」(1975年)「影武者」(1980年)「乱」(1985年)の16本である。この他には「醜聞 スキャンダル」(1950年)「羅生門」(1950年)「七人の侍」(1954年)を今回は観逃した。


 学生時代から今日まで、映画館の特集上映やビデオで見てきた黒澤作品だが、これをきちんとまとめて、自分の中でも系統づけてスクリーンで観るのは、個人的にはこれがほとんど最後の機会だったと思っている。
 まず、全作品を上映する企画は、民間の商業映画館でも今後そうしょっちゅうはないだろうと思う。そして、今回の企画上映は、国の所蔵フィルムであるため大変に状態が良好であり、こうした好条件もなかなかないだろうと考えられる。
 しかし最も大きな理由は、一連の黒澤映画は芸術作品として他に類を見ないほどすぐれていると私は感じており、それゆえに、その鑑賞の方法を今後は変えようという意志によるものだ。
 映画には、画があり、それが動き、音楽が付く。筋書きがあり、実写であれば役者が芝居をする。制作、脚本、配役、音楽、演出、撮影、照明、録音、大道具、小道具、俳優、記録がある。演出をする監督は、同時にこれらすべてのポジションに責任がある。
 黒澤映画の多くは、これらが完全に近い形で表現されていると私は思っている。黒澤明は自分が「完全主義者である」とやや揶揄されることに対して「芸術を創造するのに、完全を目指さない者があるのか」と反論しているが、まったくその通りだと思うし、多くの作品でそれを実現していると私は思う。
 そんな映画だから、黒澤作品を本気で観るとものすごく「疲労」する。その疲労は、膨大な精神的エネルギー(もちろん物質的なエネルギーも膨大だが、物質的に膨大でも精神的に貧困な映画はいくらでもある)を注ぎ込んだすばらしい芸術作品であるため、受け手もエネルギーを要するからだと思われる。


 いち鑑賞者として、これを連続的に受け止めることは精神力と体力のうえで難しくなっている。といってテレビモニターで気軽に観て楽しむ気にもならない。などと書くと何か聖的なものにしていると思われるかも知れないが、必ずしもそういうわけではない。テレビモニターで映画を観ることの良さもたくさんある。けれどもやっぱり、懐石料理やフランス料理のフルコースをカウンターで気軽に食うわけには、いかないのである。
 今回観た作品のいくつかは50回以上観ておりセリフもすっかり憶えてしまった。それ以外の作品も数回から10回あるいは20回は観ている。
 そこで、これからは黒澤作品を日常生活のさまざまな場面で思い出して鑑賞するのである。そこから感じ取るものを、その時々の自分の精神性に照らして、その意味を考える。そうして少しずつ消化する。
 それから、こんな愉しみもある。こうして何年か、何十年か経って、すっかり消化しきったところで、あらためて黒澤映画を観た時に、自分がどう受け取るのか、そういう自分を自分で鑑賞したいのである。