京劇の夜

 前に北京へ行った折り、中国の伝統楽器の音楽テープをたくさん購入してきた。シリーズもののようになっていて、それぞれの楽器ごとの曲集として19種類を買った。中国の伝統楽器、とりわけ漢民族を中心とした伝統楽器が何種類あるのか私は知らないが、その店にあったそのシリーズすべてで19種類であったので、まあそれなりに主な楽器は網羅していたと思う。内訳は、管楽器が5種類、打楽器が1種類、弦楽器が13種類で、弦楽器のうち擦弦楽器(弓でこする弦楽器、胡弓の仲間など)が4種類であった。
 管楽器は横笛や縦笛のようなもの、パンフルートのようなもの、それにいわゆるチャルメラである。このチャルメラは「鎖吶(さとつ、スォーナー)」と書き、アジア各地で使われているダブルリードの木管楽器である。アジアでは、大きく明るい音を出す管楽器としては、金管楽器よりもこちらの方が一般的なようだ。むしろ角笛や日本のほら貝のように唇を振動させる管楽器は、アジアでは少数派のようである。ちなみに、テープに録音されていた鎖吶の演奏は、超絶技巧のすさまじいものであった。
 弦楽器には胴が薄く丸い大小の月琴タイプのもの、沖縄の三線(サンシン)とほぼ同じ三弦という楽器、日本の琴と同じタイプのものもある。揚琴という楽器は、ヨーロッパのロマたちが使う、台に張ったたくさんの弦を二本のばちで叩いて音を出すタイプのもので、ピアノやチェンバロの先祖の楽器だ。こうした楽器はシルクロードを通じて、中国からヨーロッパへ、あるいは中央アジア付近から双方の範囲にまで広がったのだろう。西洋のハープとそっくりな弦楽器もある。
 擦弦楽器の四種類は、胴の大きさや形がそれぞれ異なる。私たちが普通に胡弓(こきゅう)と呼んでいるのは二胡(にこ、アルフ)というものだ。他に高胡、京胡、擂琴というものがある。

 このうち、京胡(きょうこ、ジンフ)という楽器は、最も小さく高音がよく出る。京劇で特に好まれて使われるためにこの呼び名があると聞いた。京劇は北京の伝統的な歌劇で、日本でいえば歌舞伎のようなものだろうか。欧米ではPeking opera(ペキンオペラ)とも呼ばれる。
 私が、中国の伝統楽器に興味を持ったのは、十数年前に半年ほど北京に遊学をした時に、京劇を毎週のように観に行ったからだ。私は、台詞はよく分からず、劇の内容に関しては、いつも、古典戯曲の研究をしている日本人留学生の友人に解説してもらっていた。しかし私がいつも関心を持っていたのは、京劇という歌劇の音楽であり、奏される伝統楽器であった。
 ヨーロッパの歌劇ではオーケストラは舞台前面下のオーケストラボックスの中にいるが、私が通った劇場では舞台上手(かみて)の袖に10人ほどが陣取っている。したがって上手や後ろの席ではその楽団の姿はまったく見えないが、下手(しもて)側の前列に座ると、奏者の動きまでもがよく見えるのである。私は、よくそうした席に座った。
 二胡や京胡、月琴の仲間、鎖吶、それに独特の太鼓や鉦(かね)、銅鑼などを、何人かの奏者は掛け持ちで、役者の歌の伴奏や間奏曲、効果音などとして忙しそうに演奏する。

 ある冬の日のある演目で、くだんの友人が、今日は京胡の名手がソロを弾くらしい、と教えてくれた。舞台では役者が主人公であるから、演奏者が注目されることは珍しい。私は例によって下手の一番前に陣取って、始まるのを待った。
 京劇のファンは北京のお年寄りたちで、特に男性が多い。ぱりっとした人民服を着てやはり前の方の席に陣取っているのが常だ。ひいきにしている女優が美声を発したり、見事な立ち回りが決まったりすると「好(ハオ)! 好(ハオ)!」と盛んに声を掛けるのも常のことである。
 その演目が始まり、やがて、歌の伴奏ではない、京胡奏者の文字通りのソロが始まった。すぐに激しい調子になった。奏者は若い男性である。ひざに四角い布を置き、そこに小さな京胡を垂直に立てて左手で支えながら細かくすばやい運指をする。右手には弓を持って激しく動かしている。
 弓には松やにが塗ってあるのだろう、ぱっ、ぱっ、と白い粉が弓から飛び出し、舞台天井からの白熱灯を受けて光り、奏者のひざの上に散る。まるで弓が燃え上がり、煙を出しているかのようだ。ひざの上の布には見る見る松やにの粉が積もって白くなっていく。楽譜はなく、奏者の顔は下向きで前髪が額に低く掛かり、表情はまったく見えない。上半身だけが弓の動きに引き回されるように前後左右に大きく激しく揺れる。
 やがて曲は穏やかな調子になり、ソロは終わり、歌の伴奏に戻った。その瞬間、客席からは激しく「好! 好!」の声が上がった。私も同じように叫んだ。京胡奏者は静かに顔を上げた。

 私は、あの京劇の夜を思い出すたびに、あの若い京胡奏者がどのように家路に着いて、そしてどのように寝床に入ったのかを想像する。
 元気よく晴れやかに自転車をこいで、誇らしげに上機嫌で家路をたどり、そうして満足の表情でベッドに入ったのか。
 いや、私の想像は、そうではない。彼はいつものように規則正しく自転車のペダルをこいで帰宅し、黙って念入りに楽器の手入れをし、静かに身支度を解き、ゆっくりとベッドに入ったのではないだろうか。