旅のそぞろ神に引かれて 第5回 〜大陸の厠(かわや)〜

 これから書くのは、甚だ汚穢(おわい)な話である。厠(かわや)の話である。真夏にふさわしい恐怖の話しである。


 北京の留学生楼(宿舎)の厠は、北京にある厠の中では相当にきれいな方であった。
 楼の厠は水洗式だったが、紙を流すことは禁止されており、厠の個室の前の隅には、針金でごく粗く編んだ大きなカゴがあり、ここに使った紙を捨てるようになっていた。
 なぜ流してはいけないのかというと、紙が硬すぎて目詰まりを起こすから、というのと、流した汚水は肥料になるので紙が混ざっていると困る、という理由を聞いた。本当かどうかは、分からない。
 随筆家武田百合子旧ソ連旅行記犬が星見た』にも、やはり紙をカゴに捨てる場面が出てくるから、内陸あるいは社会主義圏で共通の理由があるのかも知れない。
 紙は、ほとんどがピンク色をしており、ものすごく硬い。その硬さはペンで字が書けるほどで、実際に、私より先に北京に留学した旧友のIは、この紙で手紙を送ってきたことがあった。
 中国語では、トイレットペーパーを「手紙」とか「衛生紙」と書く。日本語で信書を意味する中国語は「信」と書く。
 「中国語の『手紙』と日本語の『手紙』を取り違えて話してしまい恥をかいた」とか「恥をかかないように」などという記述を、一昔前の中国旅行案内の本か何かで見たことがあった気がしたが、だいたい、「手紙」の中国語をきちんと発音できる人はそんなことを取り違えないだろうし、当時の北京あたりの国営商店で、そんな取り違えで右往左往したり、店員に右往左往してもられるような、なごやかな雰囲気はまったくなかった。それに少なくとも北京では、ほとんど「衛生紙」の方を、トイレットペーパーの意味で使っていた。


 それはともかく私たち留学生は、外出する時にはこの衛生紙を携帯した。外で用を足す時に必要だったからだ。
 北京の胡同には、おびただしい厠がある。一つの厠から路地の先にある別の厠が見えるくらいだ。これは、胡同の民家にはほとんど厠がないためであろう。日常の用足しに、胡同の住人たちはそこここにある厠のうち手近なものを使う。
 さて、汚穢なのはこの胡同の厠である。
 胡同の建物はどれも灰色のレンガ作りで古く、清朝末期から民国初めにかけて建てられたものなど当たり前で、とても風情のあるものではあった。
 これらの外壁や塀に寄りかかるようにして厠がある。もちろんすべて汲み取りで、灯火もない。窓はレンガの壁に小さな穴がいくつがあるだけで、昼間でも中は暗い。
 それぞれの厠によって若干の構造の違いはあるが、男性用の場合、入ってすぐのところに小用のためのスペースがある。ここはただ、正面に小便を当てるための壁があり、その下が溝になっているだけである。
 レンガの壁を隔てた奥が大用のスペースで、床には小さな四角い穴が等間隔で空いているだけで、隣との仕切りも前面の仕切りもない。勝手にその小さな四角い穴の上にしゃがみ込むだけである。女性の厠もおそらく同じようなものであろう。
 三十年くらい前まで、日本の公衆厠も「臭い汚い暗い」というイメージをなくそうと、盛んにキャンペーンをやっていたが、それでも胡同の厠の「臭い汚い暗い」に比べたらまったくかわいいものだ。
 汲み取りなので臭気が甚だしいのは仕方ないが、ちゃんと穴の中に落ちていないものもある。小用はそのスペースの周囲が汚れてくると、利用者の立ち位置がだんだん後ろに下がってきて、尿の範囲は入り口にまで広がる。冬はこれがたちまち凍結して、つるつるに滑り非常に危険だ。凍っていても臭気はすさまじいく、ましてや夏は臭気で目がちかちかして、卒倒しそうになるくらいだ。
 夜は厠の中は真っ暗になる。ただでさえ胡同の街路は暗い。月明かりがあれば胡同の路地の方が厠よりも明るい。小用を足すのも気が引け、大用を足すのは相当な勇気か慣れが必要だ。
 ある時、留学仲間が夜の胡同厠へ行った。足下を探るようにしながら、奥の大用スペースへ行き、誰もいないと思ってライターを付けたら、奥の方に一人、穴の上にしゃがんでおり“新聞を読んでいた”という。古今の怪談にも類型がないその光景に、彼も恐れをなし、便意も忘れて退散したと聞いた。


 中国では旅先の厠でも、なかなか神経を遣う。
 まずは列車の厠だ。長ければ三泊四日を車内過ごすのだが、この厠を使うのはかなり苦しい。かつての日本の長距離列車のように、出したものはすべて線路上にまかれる。だから便器の穴からは、線路のバラスト(砂利)が見える。そこで、列車が駅に停車する前後では、乗務員が厠に鍵を掛けて使えないようにするが(駅の構内の線路上にそれらがばらまかれないために)、その時間が結構長いので、タイミングが悪いと厠へ行くのを長時間がまんすることになる。
 しかし、停車中に駅の厠を使おうとする乗客はいない。旅先の駅などどこに厠があるのか分からないし、あるのかどうかも不明だ。列車はいつ発車するのかまったく分からないし案内放送もろくにない。それに旅客は、鉄道当局に行動が非常に制限されていて勝手に歩き回りづらいということもある。
 車内の厠は水洗だが、水タンクの容量が小さいのか乗客が多すぎるのか、発車してしばらくすると、もう水が流れなくなる。次のどこかの駅の給水設備までは水なしの厠となる。胡同の厠と同じで、便器の周囲が汚れてくると、そこを避けて立ち位置が後退し、やがて扉の内側、厠のスペースすべてが便器のようになる。
 また、どうした具合か壁の高い位置に付着していることも珍しくなく、揺れる厠の中で、顔や体や手がそれらに触れないように用を足すには、足腰の鍛錬が必要だ。
 列車が駅で給水する時には、同時に、厠の床にいっせいに水を流すらしく、ある程度はきれいになる。床が水浸しになる不快感はあるが室内全部厠状態よりは、はるかにましだ。細いパイプが天井から床まで下がっていて、おそらくこのパイプから水がざーっと流れ出て全体を洗い流すのだろう。やはり、厠全体が便器と化しているのである。
 半日くらいの乗車であれば利用しないに越したことはない。私も長春から大連までの列車では、一度も厠へ行かなかった。それは寝台列車ではなく、朝から夕方までずっと普通の座席に座っていたが、だいいち、乗車中は通路まで人があふれかえっていて、厠へ行くなど不可能なのだ。そういうときには、車内では飲み食いをしないのである。
 しかし、長距離列車での旅はそうもいかないし、食堂車などを利用するのも楽しいから、水の出具合などをよく把握して使うようにする。
 何回目かに中国へ行ったとき列車の厠に、洋式便器があるのを発見した。今まで見たことのないものだった。しかし、それはすさまじいしろものであった。便座があるのだが、それが木でできている。石油化学製品じゃなくても作れるものは、木や石や土で作るのがその当時、20年ほど前の中国では当たり前で、工事用のヘルメットもすべて竹を曲げて作られていたが、美学であるとは思う。それはともかく、その便座は、木がインドールスカトールの作用でひどく腐食し変色し濡れて一部がぐずぐずになっており、この世のも物とも思えない物体に変質していた。こんなものに尻を付けることは、非常に難しかった。


 雲南省昆明では、まあそこそこのホテルに泊まった。といっても日本の一般のホテルとはまったく比べものにならないが。
 そのホテルの厠は水路方式だった。1本の長い水路があって、そこにまたがって用を足すのだ。他に人がいれば、前後に連なって用を足すことになる。
 この水路方式は、パキスタン北部で一度体験したことがあった。パキスタンのそれは、一定の時間が来ると自動的に上流から水が流れてくる。ご、ごご、ごごごっ、ごごごごごっ、とどこからか音が聞こえてくると、やがて、どっぱーん、と大量の水が流れて来て、上流にあった他人のものが、自分の尻の下を流れ、自分のものも押し流して、流れ去る。なかなか豪快なものであった。
 ところが、昆明のホテルのそれは、服務員が大きなバケツに汲み置いた水を、適宜、上流から流す仕組みであった。しかし、服務員はなかなかそれをやらない。すると水路にいくつものものが放置されたままになる。汲み取りの穴から上がってくる臭気もなかなかだが、閉ざされた一室に、いくつもさらされ続けている臭気は、ものすごいものがある。
 服務員が長時間流していない厠に入ろうとすると、その臭気の衝撃で、目に見えないバリアに当たったように体が跳ね返されてしまう。そこで私は息を止め、火事場に突入するように厠に走り込み、何杯も汲み置きしてあるバケツの水を勝手にどんどん流し、踵を返していったん外へ出て、しばらくしてから用を足しに入った。
 パキスタン北部にしても、昆明にしても乾燥地帯ではないので、このように水をふんだんに使った水洗厠があるのかも知れない。両者の違いは、自動か手動か、という点もあるが、むしろ意志の問題であろうか、あるいは民俗学的な問題か、それとも政治の問題かも知れない。


 その厠が汚穢であるかどうかは、科学的に考えるなら、衛生上どうであるのかが指針になる。そうでなく感覚の部分で捉えるなら、それはまったく文化(カルチャー)の問題であって、その文化を背負った人の主観による。
 旅というものは、必ず帰ってくることを前提としたものだと私は思う。だから、出発してやがて帰って来る土地の文化が、旅先の文化を捉える物差しになるのだろう。
 日本の厠がいかにきれいか、ということよりも、私が大陸の旅の厠を思い出して想うのは、私には帰る土地があったのだ、旅先とは文化の異なる自分が帰る土地があったのだ、ということである。