うつなる人へ 〜どうしてこんなに気分が変わるのか〜

 うつというのは、心の問題の中でも「気分」の点が障害になっているものです。
 聞こえないものが聞こえたり見えないものが見えたり、といった幻覚を伴うわけではなく、異常な空想をするような妄想もなく、意識が失われたり、記憶が失われたりするわけでもありません。
 とにかく前向きに考えられず、絶望的な気分になり、強い不安を感じたりします。そして、これらには程度の差があります。

 誰だって、ちょっと疲れていれば、ついつい後ろ向きに物事を考えてしまうことはあります。何か嫌なことがあれば、くよくよしてしまうのも当たり前のことです。
 ただ、それが極端だったり、さしたる原因も見当たらないのに、急に落ち込んだりすると、かなりつらいものです。

 それにしても、どうしてこうも気分が変わるものかと、私はいつも思います。よく、コップに水が半分入っている状態を見て、それをどう捉えるかが論じられます。
 「まだ半分も入っている(だからうれしい、安心)」「もう半分しか入っていない(だから悲しい、不安)」といった具合に、同じ現象を見ても、捉え方が違う、つまり「気分」(あるいは性格にもよりますが、ここでは論じません)によって捉え方が変わってくるのです。
 以前に、私自身のブログで、こういう気分の“両側”を書きましたので、ここに再録してみましょう。

 「時間のある今のうちに、いろいろな企画書をまた練り直そう」VS「そんなことしたって、どうせみんなボツさ」。
 「この不景気だからこそ、原点に戻って発展の道を探ろう」VS「何をしたって不景気には、あらがえないさ」。
 「今までだって何とかしのいできたんだから、あきらめちゃダメだ、続けるんだ」VS「今までは今まで、これからに希望はないな」。
 「ブログだけでも、しっかり更新しよう」VS「愚にもつかないこと書いて、恥をさらしているだけさ」。
 「書きたい随筆のネタは山ほどあるんだから、どんどん書こう」VS「そのネタもあらためて考えみると、どれも本当につまらんよ、書く価値はないな」。
 「何でも継続することで、必ず開けてくるものがある」VS「もう飽き飽きしたよ」。
 「好きな映画でもゆっくり観て、気分転換しようよ」VS「気分転換してまた現実に戻って、絶望感を深めろってわけかい」。
 「今は疲れていてうつなんだから、疲れが取れればまた前向きになれるさ」VS「前向きはつまり躁状態で、それは荒唐無稽な非現実的な考えの源泉にすぎないさ」。
 「きちんと休めば、また元気も出るよ」VS「そんなふうに休まなければ元気が出ないような人間じゃ、結局何も期待できないな」
 「でも、こんなふうに“肯定と否定の大決戦”なんて書き連ねていたら、楽しくなってきたろ」VS「一瞬、そう思ったけど、それは錯角だった。わざとらしすぎるよ」
 「じゃあ、抗不安剤でも飲んで寝るか」VS「いつもそうしているよ」

 前者はうつ状態でない時の気分からくる考えですが、こうして文字にして書けたということは、ある程度この状況を客観視できていることで、これは重要なことです。これについては後で述べます。

 私がいつも悩まされ、悩まされ過ぎて笑ってしまうほど不思議なのは、この気分の浮き沈みです。
 気分が沈んでいる時には、人間関係でも、天気でも、物音でも、においでも、味でも、仕事でも、良い方に考えられない。
 人間関係とか仕事などでちょっと引っ掛かっていることがあると、始終そのことが頭から離れません。
 それらとは直接関係のない新聞記事を読んでいて、ちょっとした言葉からそうした引っ掛かりを連想して、どきっとして、落ち込むこともあります。
 急にどきっとして、嫌な気持ちになって、それがなぜだか分からなくて、しばらくしてから「ああ、今読んだ記事の中に、あの人を連想させる言葉があったのか」と気づくことさえあります。

 さらに、良い方に考えられなさすぎて、イライラすることもあります。
 知人でも、電車の中で見かけた人でも、ただもう何だか気に障っておもしろくない。
 その人の悪い面ばかりが見えてしまう。逆の気分の時は、その人の良い面がたくさん見えて、自分でも驚くほど寛容になれる。
 こういう気分が、自分の中だけで循環するだけでなく、他人への態度に出たりするとやっかいです。相手が不愉快になるのはもちろんですが、その後でひどい自己嫌悪になります。あるいは、うつで不寛容な自分を外に出さないために、非常に我慢をすることで、ひどくエネルギーを消耗します。

 こうした気分の激しい変化、浮き沈みが、日常生活での大きな障害になる場合には、医療機関などで専門家に相談をすることが有効になります。
 もしそうでなくても、できるだけ自分でも自己防衛策を取りたいものです。簡単に気分を変えることがことができないわけですから、気分を変えようとは思わないことです。これはもう仕方がないとあきらめることが、重要になります。

 これがつまり、自分を客観視することでもあるのです。「今は、仕方がない、夕方になれば変わるかも知れない」「今日はどうしようもないけど、数日がまんしてみよう」といった具合に、そのことは受け入れてしまって、そうなってしまったことについては悩まないことです。
 実際、軽いものであれば、数時間、数日間で戻ることもあります。ほんのささいな、空の雲の量や気圧なども関係しているかも知れませんから、それらが変われば、気分も自然に変わることがあります。

 もちろん、最初に述べたように、身体の疲労とも関係しているでしょうから、疲れが取れれば気分も変わる可能性があります。
 そういう意味では、気分そのものを変えるというよりも、風呂に入ってのんびりして、疲れを癒すことで、結果的に気分も癒されて変わってくることを期待するわけです。

 それから、客観視できることで、自分の行動を変えることはできます。
 「あ、今、自分はうつっぽいな」と思ったら、疲れることをできる範囲で控えるようにすることも有効なことだと思います。ちょっとくらい不義理になっても、集まりは欠席するなど。
 欠席を通知することもエネルギーを消費しますが、そこは天秤に掛けることも大切です。十数人の中で陽気な自分を演じるか、家で布団に入って好きな本を読んで寝ているか。

 本当に苦しい時には、いったい何を守ったらいいのか。人への義理か、約束か、仕事か、人に嫌われないことか、体裁か。
 本当に苦しい時に守るべきものは、たった1つ、自分自身そのものでしかないのです。