こんなものを作って食った第2回 〜北京の牛肉麺〜

 旅先で食ってうまかったものを、日常生活の中で時たま作って食うのは結構愉しい。いや実に愉しい。大きな心の慰めになる。麺類なら、中央アジアウイグル料理のラグメンを、そして北京でよく食った牛肉麺を作って食う。


1、麺は小麦粉だけで作る。薄力粉を使い、塩水でこねて、足で踏んで、2時間くらい寝かせる。その後、できるだけ薄く伸ばして、細めに切る。
2、具の牛肉は、ショウガ、ニンニク、そして八角と一緒に、醤油、酒、砂糖で煮込む。八角は、池袋あたりの在日中国人御用達の食料品店店で買うと、大変に安い。欠けているものがほとんどで小枝などもたくさん混入しているが、調理の上では問題ない。
3、上に載せる具は、他にモヤシ、そして香菜(シャンツァイ=コリアンダーパクチー)。香菜が入手できない時には、作らない。
 かつて香菜は、横浜の中華街の八百屋まで買いに行ったものだが、今では近所のスーパーで入手できる。しかし、中国食品店の香菜は、国産に比べてかなり香りが強いという説もある。卵はゆでて茶卵にする。
4、牛肉は40分以上煮込む。八角の香りがキッチンに充満し、それだけでエキゾチックな気分になる。かなり甘く味付けをして良い。
 途中でゆで卵を入れる。北京では路上で年配の女性がこの茶卵を売っている。食堂の前で売っていたらこれを買って、そのまま店に勝手に持ち込んで、牛肉麺に勝手に入れて食う。もちろん店の者は何も言わない。
5、ラー油を自分で作る。北京の食堂では、どこでもどんぶりにラー油があって、これを麺類や餃子に入れたり付けたりして食う。
 唐辛子は、輪切り、粗切り、粉末など店によっていろいろで、なぜいろいろなのかは不明だが、どれも油漬けになっている。製造方法も不明だが、私は、ゴマ油とサラダ油と半々くらいのところに入れて、鉄の中華おたまで軽く加熱する。
6、モヤシは、さっと湯がく。 麺をゆでる。ゆで上がってくると、湯を吸ってふくらみ、浮かび上がってくる。やはり手打ちだと、腰があって、手前味噌ながら大変にうまい。
 中国で食う麺類のスープは、まったく凝っていないことが多い。ここでは、牛肉を煮た汁をタレにして、鶏ガラスープで薄めた。スープは、今回はガラで取ることはせず、化学調味料無添加の鶏ガラの素を使った。
  

 中国には無数といっていいほどの麺類がある。私の手許にある『中国麺食い紀行 全省で食べ歩いた男の記録』(坂本一敏 著、2001年 発行、自費出版)を見ると、数の多さとともに、玉石混交であることが分かる。うまいものもあるが、相当にまずいものもあるのは、私も少ないながら経験している。
 私が遊学したり旅行で何回か滞在していた北京は首都であり大都市であることもあって、全国の有名な麺料理を食うことができる。東京で、札幌ラーメンでもきしめんでもにしんそばでも讃岐うどんでも九州ラーメンでも沖縄そばでも食えるのと同じだ。だが、本場の味とはだいぶ違うことがあるのも同じだ。
 中国の内陸、甘粛省省都蘭州には有名な牛肉拉麺(ニュウロウラーミェン)がある。「拉」は引っ張るという意味で、中国では扉に「引」ではなく「拉」と書いてある。拉麺は小麦粉の生地を何回も何回も両手で引っ張って、細くして作る麺だ。
 私は蘭州へは行ったことはなく、北京で牛肉拉麺と称するものを食ったのは夜市の屋台であった。その他に、山西省刀削麺と称していた麺は北京駅前のひどく汚らしい店で、四川省の坦々面と称していた麺は前門大街のもっと汚らしい店で食った。どれもまあまあうまかったが、これらの麺が、本場のものとどこまで近いか遠いかは分からない。
 私が雲南省昆明で食った米の麺は忘れられないうまさだった。路上で調理し青空の下に並べた椅子と卓で食わせる店だったが、ちょうど見た目も太さも白くて細いストローのような麺で、すばらしい喉越しだ。具は牛肉と豚肉のどちらかを選べた。香菜がかかっていて、ここに現地の人は正気とは思えないほどの唐辛子を入れていた。ところがその後、香港の店で“雲南名物”として出していた米の麺は本場のものより格段に劣っていて驚いた。本場を知らなかったら、香港のそれが雲南名物の米の麺と同じだと思ってしまったことだろう。
 “拉”麺ではない(引っ張って作っていない)けれども、牛肉麺と称している麺は、北京の胡同(フートン=昔からの庶民の街、多くがオリンピックの開発で失われた)の安食堂ではごく普通にあり、私はこれもよく食った。
 今回作ったのは、まさにこの牛肉麺だ。たいていは、細いうどんにさいころ状の牛肉と香菜が載っただけのものだった。“うどん”と書いたが、日本のラーメンのようにかんすいを使った麺は北京にはないようだ。日本と同じ小麦粉だけのうどんがむしろ中国全土では多い。


 一度、ものすごくまずい麺を食った。シルクロードの西の端のタシュクールガン・タジク自治県の漢族の店で食った麺は、おそらく世界レベルのまずさだろうと思う。
 比較的きれいな(といっても日本には存在しないレベルだが)店で、スープ入りの麺と思われるものを注文したが、客もいないのに出て来るまで40分も待たされた。これがこのパミール高原の東端に位置していて、他に店もなく、国境越えを前にして疲れていなかったら、とっとと店を出ていたであろう。
 ぬるいどころか、白湯以下の温度だった。常温といっていいくらいの汁は、薄い塩味でかすかに黄色みを帯びているが、化学調味料の味さえしないくらいだ。そうめんを30分ゆでてから30分蒸したみたいな麺が、そのうす黄色い液体の中に浸かっていた。得体の知れない青い植物の葉が数辺浮いていた。
 あれほどのまずい麺を食った人間は、人類の中でもそう多くはないはずで、私は非常に貴重な体験をしたと今でもありがたく思っている。