音楽の力を信じて 第2回 〜クラシック音楽って何だろう〜

 クラシック音楽って何だろう。そんなことを考え始めたのは、吹奏楽で演奏する音楽ジャンルの中でも重要な「ポップス」についてのルーツを考えようと思ったからだ。
 ポップス、ポピュラー音楽、軽音楽などといわれる音楽は、日本はもちろん今では世界中にあふれているが、それそれの国や地域での民族音楽の要素を除くと、ルーツの多くはアメリカのジャズなど黒人音楽に行き当たる。そこでジャズの成り立ちを考えてみようと思ったが、その前に、「ポップス」に対する「クラシック」というものを考えようと思って、何だかややこしくなってしまった。
 「軽音楽」の対語は「重音楽」ではない。“重音楽”などという言葉はない。そうすると軽音楽の対語は「古典音楽」つまりはクラシックということになるのだろうか。辞書を引いてみると、クラシックは「古典あるいは古典的な作品」という意味で、なるほどやはり「ジャズなどの軽音楽に対しての古典音楽」という意味もある。
 英語のclassicは「高級の、優雅な、名作の」などの意味になっている。はて、そうなるとジャズなどの軽音楽は“低級で駄作で低劣な”音楽となるのか、などと考えるのはひがみというものだ。しかし、そう受け取る人がいないこともないところに、いろいろな示唆があると思うが、ここでは措いておこう。
 そこでポップスの対照としてのクラシックを考えたいのだが、どうもその定義が分からない。
 定義が当たり前すぎるのということなのか『楽典』や『標準音楽通論』を見ても出ていない。百科事典に出ていたのは、ハイドンモーツアルトベートーヴェンらの「古典派音楽」のことであった。
 もっとも、たいていの人にはクラシック音楽というもののイメージはあるだろう。
 小学校や中学校の音楽室で聴いた、西洋のあれらの音楽である。そして教科書の後ろの方には、クラシック音楽の作曲者と作品、それに音楽的時代区分による年表が載っていた。
 作曲者の肖像画も音楽室の壁に貼ってあった。バッハ(ヨハン・セバスチャン、大バッハとも)はその髪型(本当はカツラか)がいかにも大昔の人のようだったし(実は没年の1750年は日本でいえば江戸時代の中ごろ)、ベートーヴェンの顔はどの角度から描かれたものも同じに見えたし、「幻想交響曲」のベルリオーズの顔は全然憶えていないし、シベリウスは何だか北ヨーロッパの民話にでも出てきそうな魔神のような顔だった。
 バッハはバロックで、ベートーヴェンの初期作品は古典派で、ベルリオーズはロマン派で、シベリウス国民楽派という歴史区分になるが、現在でも、クラシックすなわち古典音楽の作曲家は輩出され続けている。
 ややこしいのは、クラシック(古典)の中にさらに古典派があったり、クラシック音楽の範疇なのに「現代音楽」があったりすることだ。
 しかし、そういえばジャズの中でも「モダンジャズ」というある一時期のジャズを指す言い方があるが、modern(現代的な、近代の)といっても、1950年代から1960年代にかけてのジャズのことで、当時はモダンでも、今では「古き良き時代」ということになっている。
 クラシック音楽でもジャズでもポップスでも、時代によって様式はどんどん変わるけれども、古いスタイルの音楽であってもそれがすぐれているならば、新しいスタイルの音楽と同時に愛好されている。
 バッハと同時に武満徹が聴かれ、キッド・オーリーのニューオリンズ・ジャズと同時にパット・メセニーも聴く(あまりそういう人はいないかも知れないが、少なくとも筆者はそうである)。そういう点では、現代まで残っている古典的な音楽は字義どおりの「名作」といって間違いないだろう。