私の戦争1964 第1回 〜戦争が終わって19年後に生まれた私〜

 私が生まれた1964(昭和39)年は、東京オリンピックが開催され、日本が高度経済成長に突入していった年である。
 その19年前の1945(昭和20)年8月15日に戦争が終わった。
 1931年に起こった満州事変、1937年の盧溝橋事件から続いた中国との戦争の終わりであり、1941年に始まったアメリカ・イギリス・オランダらと戦った太平洋戦争の終わりであり、世界中が戦争に巻き込まれた第二次世界大戦の終わりであった。なおソ連は1945年8月9日に参戦し戦闘は9月まで続いた。
 私はいつの頃からか、おそらく小学生の頃から戦争に興味があった。やがて戦争を身近に感じるようにさえなった。それは父母が戦争世代であったことが大きな要因の一つではあろう。
 戦争に興味を感じるようになると、戦争に関連するさまざまなものに接し知識が増え、さらに長じては戦争体験者をはじめとするさまざまな知己ができ、私の戦争への思い入れは深まった。
 その思い入れとは、戦争を後世に伝えたいということである。もちろん私は戦争を体験してはいない。私が生まれる前に戦争は終わったのだから。
 しかし、戦後19年目に生まれた私が“体験”した戦争もたくさんある。父母から聞いた話、読んだ本、見た映画、出会った人々の戦争など。
 それをせめて書き残したいと思ったのである。


 今(2012年)から19年前というと、私の年になればそう遠い昔という感覚でもない。それは1993(平成5)年のことだ。『毎日ムック 戦後50年』(毎日新聞社)からこの年の事柄で私が印象に残っている事柄を単語で拾い上げてみると「月はどっちに出ている」「ゴーマニズム宣言」「美少女戦士セーラームーン」「真夏の夜の夢」「島唄」「磯野家の謎」「マディソン郡の橋」「横綱曙」「ブルセラ」「コギャル」「ナタデココ」などがある。
 そして、私が生まれる19年前、1945年の8月上旬には、アジア各地で激戦が繰り広げられ、日本各地は空襲で壊滅していった。そして原爆が投下された。
 そのことが私には不思議でならないのである。私が生まれるたった19年前に戦争があったことが。この不思議でしかたない、という感じが私の戦争を書き留めたいというもう一つの要因である。
 

 私が体験した戦争にはどんなものがあるか。父、母、祖父母、年配の知己、教師、本、映画、音楽、旅などである。
 父は、戦争が終わる2年前にいわゆる旧満州に技術者として渡り、ソ連の参戦に遭遇し、命からがら帰国することができた。
 母は、東京の向島に住んでおり、1945年3月10日の東京大空襲に遭遇し、炎え上がる東京と人間たちを見た。
 母方の祖父は、茨城県の海岸で風船爆弾の打ち上げを偶然目撃し、憲兵から尋問された。母方の祖母は、疎開先で山でマムシを穫ってきて焼いて子どもたちに食べさせ栄養失調から救った。父方の祖父は、中国大陸で軍刀を持った軍服姿の写真を残した。
 フィリピンでの戦争をきわめてすぐれた絵に描いた高齢の画家と知己を得た。埼玉県の農村の老婦人は私のインタビューに対して、慕う兄を戦争で失った悲しみを私に話してくれた。
 中学校の音楽の教師は、樺太での捕虜生活と音楽家としての誇りの気持ちを文集に残した。
 梅崎春生の小説に描かれた戦争に、私はまるで自分が体験したことのような感覚を覚えた。
 戦時中を描いた映画の中には、市井の戦争中の生活を哀感極まるように描き、また、過酷な軍隊生活を活写した。
 小学生の頃から尊敬していたグレンミラーは、大戦中に慰問演奏の途上、大西洋の上空で遭難死している。


 これから、父、母、祖父母、年配の知己、教師、本、映画、音楽、旅のそれぞれの中にある、私の戦争を、連載の随筆という形で書いていこうと思う。