こんな映画を観た 第1回 〜すてきな中谷一郎さん〜

 この俳優の名を聞いて、すぐに誰か分かる人は、なかなかの映画ファンではないだろうか。そして、ある程度の年輩の方であれば、テレビの『水戸黄門』で「風車の弥七」をやっていた役者として思い出すのではないか。
 私も邦画を自分で積極的に観るようになるまでは、この人をその弥七としてしか知らなかった。それが、岡本喜八監督の映画をいくつも観るようになって、あらためて、あちこちに出ているこの人を認識するようになった。
 岡本喜八なら『ああ爆弾』『独立愚連隊』『独立愚連隊西へ』などが準主役級で、『日本のいちばん長い日』『大菩薩峠』『大誘拐』その他いろいろたくさん。黒澤明では『用心棒』。社会派監督の山本薩夫でも結構出ていて『戦争と人間』『金環食』など。小林正樹監督なら『切腹』。
 恐い顔をするとこんなに迫力のある人はなかなかいない。それも、すごんで相手を恐がらせるような、安っぽい恐さではない。恐がらせようとしているのでなく、怒っているのでもなく、ただただこの人の(役の中での)“気”が恐いのである。
 これらの映画の中で私がいちばん恐ろしいと思うのは『切腹』での井伊家の家臣役だ。井伊家の屋敷の廊下で、浪人者の石浜朗に相対した時の恐さ。丹波哲郎が、同僚である中谷一郎を、石浜朗に対して威嚇する目的で紹介する。「据え物切りが得意な矢崎隼人(中谷)、血気盛ん、腕も立つ」と紹介されて、中谷はニヤッと笑う。せりふがないのにその顔だけで恐かった。
 この映画で、刀を抜いて仲代達矢に襲いかかる場面もすさまじい迫力だった。はかまに下駄を履いて、腰に差している打刀(うちがたな)はものすごい太さで、その鯉口を親指で切ると、しゅぽっというような音さえする。それをずらりと抜いて、振りかざしながら「たあーっ」と叫んで、こちら側のカメラに向かって大名小路を一直線に駆けてくる。これは3D映画でもないのに、思わず逃げ出そうかと思うほどの迫力だった。
 一方で、そのぎらりとした鋭さを身の中に保ちながらも、味のある深いユーモアを漂わせる芝居もあった。『独立愚連隊』の小哨長の軍曹がそうだったし、さらにこっけい度を増したのが『ああ爆弾』の暴力団幹部兼議員候補者の役だ。『金環食』では、時の与党の幹事長役で不思議な存在感があった。田中角栄元首相をモデルにしたのだという。


 さて、個人的な思い出を一つ。あれは2001年頃だったか、東京の阿佐ヶ谷にある映画館「ラピュタ阿佐ヶ谷」で「岡本喜八全作品上映」という企画が催された。後に池袋の新文芸座で同じ企画を催した時には、残念ながら、権利関係の都合とかで『英霊たちの応援歌』だけは上映されなかったが、阿佐ヶ谷では、文字どおり全作品上映となった。
 何週間かに渡ったこの企画の最後に、映画館付属のホールで岡本映画の関係者を招いた記念パーティーというのが行なわれた。そしてそれは、チケットさえ購入すれば誰でも入れるパーティーだということであった。私は、独立して愚連隊になった、いやフリーになったばかりで暇だったので、関係者にまったく知己はいなかったがチケットを購入した。
 さて当日、阿佐ヶ谷の駅の階段を降りて、改札口の方へ目をやると、背の高い細身の年輩の紳士がまさに改札を通ろうとするところであった。スクリーンなどで見るよりやせていたが、中谷一郎さんに間違いない。もちろん、パーティーに参加するためであろう、と私は思った。
 走って行って、少し後ろで足を止め、それからゆっくりと近付いて、そっと声を掛けた。
 「失礼ですが、中谷一郎さんですね」
 「ええ、そうです」
 「いつも、岡本監督の作品などで拝見しております」
 「ああ、これから岡本作品の記念パーティーに行くんだけど、どうも道が分からなくてねえ」
 「そうですか、私もそこへ行きますので、ご案内しましょう」
 それから歩いて数分、ラピュタ阿佐ヶ谷までどんな会話をしたのか、まったく記憶にない。私は沈黙が恐い方なので、何か話したと思うのだが、不思議と何も憶えていない。相当に緊張していたのだろう。
 会場の入り口で別れ、中谷さんは関係者の固まりの中へ入って行った。岡本監督、監督の娘さんで『ジャズ大名』などに出演した岡本真実さん、『殺人狂時代』など岡本組の常連であるインテリで名優で怪優の天本英世さん、『大誘拐』の風間トオルさんや嶋田久作さんらの姿が見えた。もちろん私とは面識のない人たちばかりである。
 岡本作品ファンとおぼしき人たちもいたが、私は何となくその誰にも声を掛ける気にならず、私はスクリーンで見る俳優たちをただ遠くから見ていた。
 しばらくすると急に声を掛けられた。はっとして見ると中谷一郎さんだ。
 「どう食べてる? せっかく会費払ったんだから、どんどん食べなくちゃ」
 スクリーンの中で見る中谷さんとは違った、とても優しい中谷さんだった。
 その中谷さんも、それからしばらくして亡くなった。岡本喜八監督も亡くなった。天本英世さんも亡くなった。岡本喜八監督の映画音楽をはじめ戦後の数多くの映画音楽を書いた佐藤勝さんも亡くなった。
 とても寂しいけれども、ありがたいことには、映画でならこれらの人たちにいつでも会うことができる。そして中谷一郎さんは、私が生きている間は私の心の中でもお会いできるのだ。