食ったものはいつか転生す 第3回 〜日本そば屋の五目中華〜

 高級であるかまあまあ中級の中華料理店では、中華料理だけが品書きに載っているものだが、大衆的な中華料理屋だと、親子丼だとかカレーライスだとか時にはオムライスなどが品書きに見える。
 周囲にあまり食べ物屋がないような郊外の店であれば、客の要請に応えるためにもいろいろな料理を提供する必要があると思うが、私が生まれ育った東京の山の手と下町の間のような場所でもそれは同じで、巣鴨駅北口にはかつて狭い地域に大衆的な中華料理屋が少なくとも3軒、そのうち2軒はほとんど隣り合っていたが、これらの店もラーメンやチャーハンやレバニラ定食のほかに、カツ丼やカツカレーが用意されていた。
 こうした高級店での単一性と大衆店での多様性の関係は、そば屋でも似たようなことが言えるようで、老舗といわれるそば屋や高級感のあるそば屋は、純和風のそばのバリエーションだけが品書きに載っており、当然のように中華料理や洋食はまったく見当たらない。中にはカレー南蛮や丼ものさえ品書きにないことも珍しくない。
 それが東京の山の手と下町の間のような場所にあるそば屋では、そば以外に豊富な丼ものはもちろん、カレーライス、時にはチキンライスなどの洋食があり、他に、中華そばが品書きにあることも多い。
 ていねいな品書きを作っている店では「日本そばの部」「丼ものの部」「洋食の部」「中華の部」などと分けられている。
 私は、大衆的な中華料理屋で和食の丼ものや洋食を食べることはない。なぜかというと、そこが大衆的でおいしい中華料理屋であったなら、その品書きのどれを食べるのも好きだし、飽きることがないからである。
 しかし、大衆的なそば屋では、五目中華を試してみようと思うことが、しばしばある。これは日本そば屋の品書きが飽きるからではなく、大衆的な日本そば屋の五目中華が大好きだからである。
 ただし、これには当たり外れがある。当たると、子どもの頃に近所のそば屋の出前で食った、あの「本物の日本そば屋の五目中華そば」が味わえる。
 ところが外れると、醤油味であったり、いわゆる広東麺であったりして、その失望は尋常ではない。


 では“当たり”の「本物の日本そば屋の五目中華そば」とはどういうものかというと、まず汁は塩味である。日本そば屋の中華そばには、五目中華だけでなく醤油味のラーメンやチャーシューメンがたいていはあるのだから、ラーメンに五目の具を加えれば、五目中華になるだろうと思うのだが、「本物の日本そば屋の五目中華そば」を出す日本そば屋では、五目中華の汁は必ず塩味なのである。
 具は、鳴戸巻き、かまぼこ、伊達巻き、戻して甘辛く煮た干ししいたけ、豚肉、ほうれん草、きくらげ、長ねぎ、チャーシューといったところが、ひしめくように並ぶ。もやしはなくてもいい、メンマもいらないだろう。
 麺は、太くも細くも平たくもなく、極端にねじれてもおらずまっすぐでもない、平凡な中華麺がよろしい。ゆで加減には期待してはいけない。


 「本物の日本そば屋の五目中華そば」は、調べたわけではないので何とも言えないが、どうも昔の、古ければ戦前からの、中華そば屋とかデパートのお好み食堂などで出されていた「五目中華」の流れを受け継いでいるのではないかと思う。
 その根拠を明確に説明することはできないが、ある雰囲気を持った古い感じの中級中華料理店にはこうした五目中華が生き残っていることや、日本そばの“おかめ”の発想、私の祖母が戦前の浅草松やの食堂で食べるのがいつも五目中華だったというがその「五目」の内容を私が想い描いた時の“感覚”、などなど、である。
 今、ここまで書きながら「本物の日本そば屋の五目中華そば」の具は、おかめそばの具と中華そばの具の両方を載せたものに近いことに気づいた。
 さきほど書いたように、ある雰囲気を持った古い感じの中級中華料理店でも「本物の日本そば屋の五目中華そば」を食うことができるが、中華料理屋の五目麺あるいは五目ラーメンは、中華風の具が五目(エビ、カニ、ゆで卵など)である、というものに席巻されつつあると感じる。
 私が子どもの頃に出前で食っていたそば屋は、今でも健在で、最近30年ぶりに行ってみた。
 丼物などは、つゆの甘辛さ加減が実に大衆的でうまいのは、代替わりしても変わらないが、残念ながら「本物の日本そば屋の五目中華そば」は品書きからは消えていた。