旅のそぞろ神に引かれて 第2回 〜人民解放軍のお宿〜

旅のそぞろ神に引かれて 第2回 〜人民解放軍のお宿〜

 値段は安いけれども環境は最悪、という宿に泊まった最初はインドのお宿だった。
 初めての海外旅行で、一人旅で、往復の航空券の予約だけで、短い日程で、インドのデリーからカルカッタまで汽車の旅という案は、初めは旅行代理店の人に止められた。
 別に蛮勇をしようと思ったわけではなかったけれど、大学も卒業できそうにないし、ちょっと新しいことをしてみたかったのだ。
 オールドデリーのマーケットにあった、コンクリートか石造りか、とにかくひどく古びた3回建てのお宿だった。
 デリーの旧市街の市場の中というのは、人も牛も食べ物も雑貨品も色もにおいも味も、あまりにも雑多でさすがにものすごいものがあった。
 当時、盛んに読まれていたバックパッカー向けのガイドブックに載っていた最安値に近い宿で、あまり憶えていないけれども、日本円で300円くらいだっただろうか。3階建てといってもあまり高い建物ではなく、その2階のひと部屋をあてがわれた。
 焦げ茶色の木の扉。中は四畳半ほどの広さ。緑色に塗られた壁と天井。天井は低くどこにも窓がない。天井近くの壁にインドの神様の極彩色の絵が飾ってある。色彩のあるものはまったくこの絵だけで、あとはベッドと扇風機があるだけだ。
 ベッドは真ん中の梁が折れているので、仰向けに寝ると体が海老のように曲がってしまった。
 扇風機は小型飛行機のプロペラというと大げさすぎるが、少なくとも業務用の、大食堂の全体に風を送るような巨大なものだった。これがインドの神様の真正面に設置されていて、神様と扇風機様と両方から見下ろされているようだった。
 このスイッチを入れて驚いた。大きさが大きさだけに、ものすごい轟音で烈風を吹き付けてくる。とてもじゃないが寝られないので消すと、猛烈な暑気が体を包む。
 ドアに鍵はあったが、ホテルの人間も信用できないと聞いたので、小型のナイフを枕の下にいれて寝た。2晩で降参した。


 広州に来たのは2度目で、最初に来た時は留学生のOとKと一緒に、広州中医学院の宿舎に泊まった。2度目は一人で、香港から入って、上海、雲南あたりを回ろうと思った。
 当時、中国入国のビザを日本で取ろうとすると金も時間もかかったが、香港で取ればその苦労はなかった。イギリス植民地だった香港から国際列車に乗って広州駅に降り立つと、いろいろな客引きが寄って来た。
 宿の客引きの、薄い口ひげを生やして浅黒い顔をしたやせた男がしつこかった。翌日の目的地があったので、それを伝えると、宿からはすぐ近くだという。そして値段が安い。10元だった。1990年代の初め頃だから300円くらいだったろうか。
 ところが宿の名前を見ると「広州軍区招待所」となっている。広州軍区を管轄する人民解放軍のお宿ということだろうか。中国軍は当時(今もだろう)いろいろな商売をやっていて、例えば、拳銃から重機関銃、ロケット砲まで体験試射できるなんていうのもやっていたそうだから、旅館経営もその一環だったのかも知れない。だが、本当のところは誰が経営していたどういうお宿なのか、今も私は知らない。
 「私は外国人だから」といって断った。初めは私のへたくそな中国語も、どっか河北省の外れのひどいなまりだと思ったのかも知れない。断ると、一瞬びっくりしたように顔を見ていたが、思い直したように「外国人でも構わない」という。だったらということで、送迎のぼろぼろのワゴン車に乗り込んだ。すでに何人かの中国人が乗り込んでいた。
 翌日の目的地は駅からそう遠くなく、したがってそのお宿も近いはずだが、1時間以上走っても到着する気配はなく、どんどん郊外へと向かう。2時間走ったあたりで私はすべてをあきらめた。そして到着した。
 小さな郊外の村といった雰囲気の場所で、コンクリート2階建てくらいの、中国のどこにでもあるような無機的な簡素な建築物だった。
 通されたのはベッドが8台くらい並んでいる大部屋で、もちろんベッド以外にはまったく何もない。2時間半におよぶぼろんぼろんワゴンの旅で疲れた私は、他の客と笑顔を交わしただけで、すぐにゴロ寝をしてしまった。
 しかし、寝込んでしまわないうちに、軍服と腕章を付けた男(腕章は「公安」ではなかったと思うが、治安・警備関係者か軍人であったことだけは間違いない)が2人部屋に入って来て「お前は外国人だろう」というようなことを聞いて来た。威嚇するような感じでも乱暴な感じでもなかったが、もちろん気持ちは良くない。私は「日本人だがさっきは問題ないと聞いた」とおぼつかない中国語(共通語)で答えた。相手は「外国人は、この部屋に泊まってはいけない」と言っているようだった。中国の一般庶民と間近に接するのを好まないようであった。軍関係の施設だからということもあるのだろうか。しかし、こうなってはいくら抗弁してもまったく埒があかないことを知っているので、あきらめた。
 別の部屋へ行けというので、案内されると、今度は4人部屋だ。ここで一人で泊まれということだ。だが料金は倍の20元だという。これについても少しは反論したが、すぐにあきらめた。
 ヨーロッパ人の旅行者なら、何時間かかっても抗弁するだろうと思った。しかし、ヨーロッパ人の旅行者は間違いなくこんなところへは来ないだろうとも思った。
 けれどもまあ、4人部屋を一人で占領できるのは悪くない。私は少しホッとして荷をほどいて、洗面所で顔を洗い、身支度を解いた。食欲はあまりなかった。
 ゴロ寝をして、寝込んでしまわないうちに、また人が入って来た。3人の私服の男性で、残り3つのベッドに寝る客だ。客は間違いなく中国の一般人で、間違っても日本人ではない。
 とどのつまり、外国人は中国人と一緒の部屋に泊まってはいけないと言いながら、客が増えたから一緒にされてしまって、高い部屋に換わった、というだけのことだ。もう一切の苦情を言う気もなくなり、とっとと寝てしまった。
 明け方、ドーンドーンという腹の底に響くような轟音で目が覚めた。初めて聞いた砲声だった。1晩で退散した。