酒の追憶 第3回 〜コップ半分のビールと同期Rの思い出〜

酒の追憶 第3回 〜コップ半分のビールと同期Rの思い出〜


 私が新卒の頃はまだバブル景気の最中にあって、卒業式直前に応募してすぐに入社が決まった業界新聞社でも、会社の規模の割りにはたくさんの新卒者を採用していた。
 その中にRという男がいた。中背でやせ形だが大学時代は柔道部にいたという。しかし、それを思わせる精悍さやたくましさはまったくなく、ひょうきんでとぼけた雰囲気が全身にあった。
 柔道部にいたというのは冗談ばかり言うRの嘘であろうかと思ったが、のちに、黒帯を締めているRの柔道着姿の写真を私は見たので、本当だとは思う。
 冗談を言うだけでなく、実際変わった男で、何を考えているだろうかと思う言動が最初からあった。
 入社早々の新人歓迎飲み会では、座敷に居並ぶ主幹、編集長、デスクら幹部を前にして、Rは一人「立てひざ」で飲んでいた。
 主幹は社長に次ぐ新聞社のナンバーツーで、X主幹はちょっと恐い雰囲気があり、先輩社員たちも怖れているようだった。ところが、こともあろうにRは、その主幹のX氏に対して突然「Xさん、三波伸介にそっくりですね」「子どもいるんですか、そうですか、じゃあ、子どもはきっと不良になりますよ」などと言うのだ。
 周囲は、私たち新人も先輩も幹部も、呆気に取られた。R一人が微笑んでいる。X主幹がようやく編集長に向かって口を開き「少し、新人教育も、考えてくれなきゃあ、困るよ」と苦笑いしながら言った。あまりのことに、本気で怒る気も失せてしまったようだ。
 Rはこの時、飲み過ぎたか、酒癖が悪いのかとも思ったが、そうではなかった。Rはビールをコップに半分も飲むともうそれ以上は飲まないことが後に分かった。飲めないのである。そして、それだけを飲むとすぐに陽気になった。ちょっとしつこいところもあったが、いわゆる絡み酒ではなかった。
 では、なぜそんなことをRは言ったのか。どうも何かを試しているようなのだ。といって陰険なものではない。
 よく、わざと失礼なことを言って人を試し、その反応によって相手を“裁こう”とする人がいるが、その類ではない。Rが試していたのは、唐突な言い方だが、この世でのR自身の“存在そのもの”であったような気がする。


 初めの頃は、私たち新人だけ数人で何回か飲みに行ったが、それもそうしょっちゅうあることではない。ところがRは、仕事が終わると毎日のように私一人を飲みに誘った。
 会社の近くの殺風景な居酒屋の二階でいつも飲んだ。もちろんRはビールをコップに半分だけである。私は、Rが飲み残したビールと、チューハイや日本酒を飲んでいた。
 肴はいつも、味がうすくてニンジンや大根ばかりが目立つモツ煮込みと、小粒で脂っ気の少ないやきとんだった。Rは酒の肴にも関心がないようだった。
 Rは、コップ半分のビールをチビチビと飲むわけではなく、ぐっと飲んではすぐに顔を真っ赤にして、あとは飲まずに妙なことばかりしゃべっていた。
 私が学生時代にジャズ研究会というサークルに入っていたことを教えると、にっこり笑って「ジャズって『どろろん、どろろん』ってやつだろ」と言って、子どもの頃のテレビアニメ「ドロロンえん魔くん」の主題歌を歌う。最初、私は何を言っているのか分からず、何度も聞き返すと、Rは非常にうれしがって、また何度も「どろろん、どろろん」と歌う。
 Rは私を馬鹿にしているわけでは決してなかった。ジャズが好きだという私を好ましく思ってくれたようで、それがRの中で認識されて、私に対してその気持ちが出る段になると、妙な言い方になるのだ。
 いつもにやにや笑って、冗談とも本気ともつかないようなことを話すのだが、私の話すことにはきちんと耳を傾けて、とてもよく理解してくれる。だが、その反応がまったく珍妙なのである。



 新入社員が銀行のキャッシュカードを作る時に、総務からクレジットカードを作ることも同時に勧められた。社会人になったからできることで、皆どうしようかなどと話していたが、Rは、学生時代に競馬で借金を重ね、自分はブラックリストに載っているからクレジットカードは作れない、と言って周りを驚かせた。これもどこまでが本当なのか分からない。
 私は、ある時にその借金の額を聞いたが、それほどのものではなく、正社員で1年も働けば返済できるあろう金額だった。
 だがRは、決して利息以上を支払わないのだと言う。もう競馬はやめており借金を重ねることはなくなっていたが、元本はそのままにしているというのだ。
 Rに言わせると、元本を返したら仕事をする気がなくなるからだと言っていた。これもどこまでが本当か嘘か分からない。
 しかし私は、それを聞いた時に、何か心細いものを感じた。その言葉は“仕事をする気”よりもむしろ、Rが“生きていること”を意味しているように思われたからだ。


 Rは仕事の能力は高かった。取材もしっかりやっていたし、記事もきちんとしたものだった。私を含めて新人があまり長くおらずに辞めていったあとも、会社に残っていた。二年目以降は、広告営業でも成績を上げていたそうだ。
 そういえば、Rが仕事に関する愚痴を言うのを聞いたことがない。上司の悪口も言わない。上司らをからかうようなことは、例によってにやにやしながらしょっちゅう言っていたけれども、それは悪意のない軽口のようなものだった。
 知識は豊富だったように思う。それはRの言う冗談の端々に相当に婉曲に現われるので、物識りだと判断できるまでに多少時間はかかった。私と違ってRは自分からそうした知識をわざわざ披瀝することは皆無だった。
 そして、やはり毎晩のように私を誘い、コップに半分のビールを飲んで酔って、地下鉄に乗って途中まで一緒に帰った。駅のホームで必ずRはガムをすすめてくれた。二人でガムを噛みながら、話しをし、Rはまたうれしそうに、妙な冗談ばかりを言っていた。


 私は、会社を辞めることにした。同期の中では最初だった。名目は、ちょうど起こった中国の天安門事件をきっかけに北京に留学するからであり、それは嘘ではなかったが、本当のところは、まだ仕事をしたくないという、いわゆるモラトリアムであった。
 考えた末での結論ではあったが、上司に正式に申し出る前に、まずRに言うことにした。相談ではなく決心を話すのだ。
 いつもの居酒屋の二階でそのことを話すと、驚いたことにRは、突然涙をポロポロと流して泣いた。そしてこう言った「せっかく二人で一緒に、X主幹を成敗して、会社を乗っ取ろうと思っていたのに」。
 私は狼狽した。やがてしんみりとしてしまった。Rのコップのビールはまだ残っていた。ビール会社のロゴの入った薄手の小さなコップには細かい水滴がいっぱい付いている。
 けれどもRは強いて私を止めることはせず、退社後も何度か飲んだが、いつしか疎遠になって、私は北京へ行き、互いに音信不通になった。


 帰国後、私はいくつかの出版社を渡り歩いた。
 フリーになる前、最後にいた出版社で、趣味の雑誌の副編集長になっていた頃だったと思う。会社の近くの道でばったりRに会った。
 会社は、風俗店街の近くにあったのだが、会うなりRはすっとんきょうな声で「その辺の店に行くんだろう?」と、にやにや笑いながら話し掛けてきた。Rは、私の会社からそう遠くない出版社に転職しているという。
 それからしばらくして、Rと久し振りに飲んだ。今度は新宿の通称しょんべん横丁だった。私はまあ普通に飲んで、まあ普通に酔っぱらった。Rは、コップに半分よりも多く飲んでいたかも知れない。昔の会社のことや、そこにいた人たちの噂など、他愛ないことを話した。
 けれどもその時の私は、これから仕事が順調にいくだろうという見込みと意気込みがあり、少々鼻息が荒かった。何となくRの冗談にも以前のような親しみを感じなくなっていた。
 終電近くになり、私が「そろそろ帰ろう」と言うと、Rは「もっと飲もう」と赤い顔をして珍しく真剣に言った。店を出て、帰ろうとする私にからみついてくるRを、振りほどくようにしながら、私は「またな、またまた」と言って、地下に降りて行った。
 階段の上からRは「おーい、本当の話しはこれからだぞー。本質はこれからなんだぞー」と声を張り上げた。私は、笑いながら、やはり「またな、また」と言って手を振り、階段を降りた。


 それきり、Rとは会っていない。そのずっと後に連絡をしたが取れず、今、どこで何をしているのかも分からない。どこかの街角で私がRを見かけた時、私はRに声を掛けることができるだろうか。