こんな映画を観た 第2回 〜中国映画を観た頃〜

 1988年だと思うが、渋谷のユーロスペースで『紅いコーリャン』(1987年、張藝謀監督)を観たのが、こののち続々と上陸してくる中国映画の名作に夢中になった最初だった。
 この年、神保町の岩波ホールで『芙蓉鎮』(1987年、謝晋監督)のロングラン上映が話題になっていた。
 それ以降私は、単館上映、特集上映、テレビ放映、まだ映画好きのために存在していたレンタルビデオ店でも借りて、ずいぶんと観たものである。
 かつて千石にあった「三百人劇場」ではしばしば中国映画の特集上映を行っており、私はそのたびに観に行ったものである。残念なことに、2006年8月の『ソビエト映画回顧展』に引き続いての『中国映画の全貌2006』(8月19日〜9月10日、35作品上映)という特集上映を最後に、この劇場は取り壊されてしまった。


 1990年代以降になって、日本で上映される中国映画はさらに増えたが、やや玉石混淆の観もあった。
 そうした中で私が印象に残った作品を制作年代順に挙げると、『北京の想い出(原題 城南旧事)』(1982年、呉貽弓監督)、『黄色い大地』(1984年、陳凱歌監督)、『大閲兵』(1985年、陳凱歌監督)、『孫文』(1986年、丁蔭楠監督)、『古井戸』(吾天明監督、1987年)、『芙蓉鎮』(1987年、謝晋監督)、『紅いコーリャン』(1987年、張藝謀監督)、『心の香り』(1992年、孫周監督)、『青い凧』(1993年、田壮壮監督)、『さらば、わが愛 覇王別姫』(1993年、陳凱歌監督)、『太陽の少年』(1994年、姜文監督)、『スケッチ・オブ・Peking(原題 民警故事)』(1995年、寧瀛監督)、『山の郵便配達』(1999年、霍建起監督)、『こころの湯』(1999年、張楊監督)、『鬼が来た』(2000年、姜文)、『北京ヴァイオリン』(2002年、陳凱歌監督)などが出てくる。


 中国大陸では1980年代になって改革開放政策がそれなりに進み、1980年代半ばからは、映画制作の若い才能が一気に花開いたのだろう。そうして1989年に天安門事件が起こった。加速していた経済と文化の勢いはたちまち衰えるかと懸念されたが、意外にも中国の人々は2000年代に至っても変わらずに、物と芸術を作り続けたように思えた。
 同時期の日本はバブル景気が沸騰し、やがてぶっ壊れた。しかし、私には世の中の価値観が激変したようには思われなかった。それまで徐々に変わってきていたものが、2000年代以降になって一気に姿を現したような気がする。
 中国映画が盛んに上映された頃、周囲の親しい友人が何人も中国に留学をしており、私もその真似をしようとしていた。
 中国の大学は、開放政策の中で個人留学生を積極的に受け入れており、中国へのバックパック旅行と留学は、私の同世代の間では、それは一部だったかもしれないがブームになった。その後ようやく、日本企業の本格的な進出が始まった印象ある。
 大学時代から映画好きになって、邦画をずいぶんと観るようになっていたから、中国映画ブームにはすぐに乗って、次々と上映される新作を観た。1988年の春には最初の中国旅行をし、天安門事件の翌年1990年に北京に留学、その後も転職をする合間に何度か旅行をした。2006年には音楽仲間と北京へ演奏旅行も果たしている。

 
 先の挙げた映画に関する想い出を列挙してみる。
『北京の想い出』 留学から帰って来た虚無感の中、テレビ放送で観た。主題歌の『旅愁(ふーけゆくー、あーきのよー)』のインストバージョンと、1930年代頃だろうか昔の北京への郷愁と叙情がすばらしく、哀切極まりない想いで味わった。
『大閲兵』 映画館ではたぶん1回、テレビ放映したものを録画して何度も観た。オープニングの映画会社名の表記が何ともレトロで古い中国を想起させる。全編兵士だけしか出て来ない。若い男の肉体がいっぱい。男の汗とシャワーシーンもいっぱい。
孫文』 ちょうど天安門事件前の北京の戒厳令公布の日に、中国留学を果たして帰国していた旧友のI氏と銀座で観た。
『古井戸』 ある友人宅でいろいろな人たちと飲んでいた時、その中にこの映画のスチール撮影をした中国人男性がいて、びっくりした。劇中の集団大乱闘のシーンがものすごく、このカメラマンはもちろんそのシーンを間近で見ていた。出演者が本気になって喧嘩をしてしまい、けが人が大勢出たと言っていた。
芙蓉鎮』 北京の東安門大街の夜市(夜にたくさんの屋台の食べ物屋が並ぶ)に米豆腐屋があり「芙蓉鎮に登場した名物の米豆腐!」と看板に書いてあった。映画の中の米豆腐は本当にうまそうだった。でも、この屋台のはあんまりうまくなかった。
さらば、わが愛 覇王別姫』 3時間くらいの映画。京劇が主軸になっているし、近現代史を通しているのでとても興味深いけれども、重くて、観終わると立ち上がれなくなるくらい疲れる。
『太陽の少年』 劇中に何度も『カヴァレリア・ルスティカーナ』の前奏曲と間奏曲が流れて、甘美で切ない。夏に観たい中国の青春映画。
『鬼が来た』 香川照之が旧日本兵役で助演している異色の映画。最初は日本兵と中国農民が結構コミカルに接触しているので「ああ、中国映画も変わったものだ」と思っていたが、最後の方でとんでもない凄惨シーンが展開してげんなり。映画館の若い女性観客たちは、ほとんどショック状態だった。
北京ヴァイオリン』 映像、音楽ともに完成度が高くて驚いた。映画館でも何回も観て、堪能して、これ以降は中国映画を観ていない。

 
 私は中国映画には、すべてでないけれど、中国のとりわけ北京の古い情緒を求め、そして満足させられてきた。自分が知っている1990年代の北京でなくても、もっと古い北京を描いた映画でもそれは変わらない。
 『北京ヴァイオリン』では、それがかなり失われている北京が描かれていたし、最後に北京に行った2006年は翌々年のオリンピックを前にして、“保存されたものではない”古い北京の自然な情緒が徹底的に変容しているところだった。
 調べていて『北京ヴァイオリン』が2002年の制作だと知ってびっくりした。もう10年も前のことだったのだ。中国は表面上は大きく変化した。中国映画というものが変容したのか、最近の中国映画を観ていないので私は知らない。日本の状況はどうもあまり良いとはいえないが、これからは分からない。中国映画を夢中になって観ていた頃の自分は、今は果たしてどう変わったのだろうか。