沖縄4日間の旅 第6回 〜この日嘉手納基地は静かだった〜

 昼飯は、また梅原君おすすめの沖縄そば屋へ行った。私としては、沖縄にいる間にできるだけたくさんの沖縄そばを食いたいので大歓迎だ。
 この店もそうだが、多くの飲食店はそのたたずまいが本土の飲食店とはだいぶ違う。少なくとも東京周辺には見られないものだ。飾りっ気のない鉄筋コンクリートの平家建てや2階建てで、やはり飾りっ気のないサッシがはまっている。看板も目立たない。役場の小さな出張所か、地域の集会所のような雰囲気だ。
 けれども、飾りっ気があるように見えて実は画一的なチェーン店の店構えや、うその日本家屋風の居酒屋などが、まさに軒並みの光景に飽き飽きしている目には、むしろすっきりとして潔い。
 ここは土間に券売機があり食券を買うようになっている。これもおもしろい。店内は宴会場のような大広間の座敷で低いテーブルがたくさんある。
 どっかりと腰掛けてテーブルの上を見ると、葉っぱがたくさん入ったどんぶりがある。どのテーブルにもあるからこれはトッピングであろう。葉っぱは、ヨモギだ。梅原君は、最初は普通に味わって加減を見ながらヨモギを適宜加えると変わった味わいが楽しめる、という。
 私はテビチそばを注文した。宮古島での演奏会の後、レセプションでもテビチをたくさんごちそうになったが本当にうまい。このそばにもたっぷりと入っていて、けちけちしていないのが良い。豚肉文化圏だからだろうか。テビチは一般に豚足のことだから、脂っこさもある。これがヨモギと実によく合うのである。


 そばに満足した私は、那覇のバスターミナルまで送ってもらって、梅原君夫妻と別れた。
 行こうと考えたのは、嘉手納飛行場つまりアメリカ合州国空軍の嘉手納基地だ。どうやって行くのかよく分からなかったが、バスターミナルで「嘉手納に行きたい」というと「嘉手納バス停」に行く路線を教えてくれた。乗車したのはちょうど午後の3時くらいであった。
 沖縄のバスは車体が古い。東京の最新のバスとはかなり格差がある。降車のボタンはただの押しボタンでランプがない(ランプがなくても良いが)。座席や床には傷みや汚れもある(私はそれもあまり気にならないし、不快にも感じない)。沖縄がとりわけマイカー社会で、バスの利用者が少ないから仕方ないのかも知れないが、本土とのさまざまな面での格差の一端を感じて、おもしろくない。私は、だんだんと浮かれた気分から遠ざかっていく。
 高い建物のない郊外の道をずっとずっと走る。こんなに長く走る路線バスも、沖縄ならではなのだろう。
 乗車時間は1時間くらいだったと思う。嘉手納バス停で降りた。乗車中に早くも爆音が聞こえてくるかと思ったが、まったく何も聞こえない。これはどうしたことだろう。
 この日の午前、梅原邸で名護先生の話しを聞いている時、1回だけ上空を軍用機が通過した。ものすごい音で会話が中断したのはもちろん、そこにいる全員が体をすくめて何も見えるはずのない上方を、思わず見た。人間という動物のごく自然な反応だと思う。私が、今日の午後に行く嘉手納基地はこんな音がするのだろうかと聞くと、梅原君は「とてもこんな程度じゃないですよ」と言う。
 けれども、バスを降りても、やはり爆音は聞こえない。そんなに基地は遠いのだろうか。
 基地の近くに滑走路を一望できる「道の駅かでな」があると調べていたので、歩いてそこまで行くつもりだった。自動車用の案内表示があったので、それを頼りに、とにかく歩いた。
 30分ほども歩いただろうか、この間1回だけ爆音を聞いた。しかし一瞬であった。それ以外はやはり爆音は聞こえない。
 進行方向右側の基地の塀は、どこまでも果てしなく続いているかのように見える。県道74号と思われる道路を挟んで反対側には静かな住宅街がある。県道とはいっても片側2車線で真ん中には中央分離帯もある立派なものだ。


 ようやく道の駅を見つけた。周囲にはヤシの木が植えられていて、南国情緒がある。やはり静かだ。目の前が空軍基地でなければ、南日本のどこかの道の駅と変わりないことだろう。
 喉が乾いた。1階で氷ぜんざい買って展望台に上がった。氷ぜんざいは沖縄の氷あずきのことで、小豆ではなく大粒の金時豆を煮たものが、かき氷に入れてある。
 もう午後5時を過ぎていたが、展望台には5、6人がいた。そのうちの1人は大きな三脚に載せた大きなビデオカメラを持っており、大きな望遠レンズが装着してある。別の1人はもっと大きな望遠レンズを付けたスチールカメラを持っている。他にも立派なカメラを持った人がいた。
 彼らが、軍用機が好きでそれを撮影に来た人なのか、それとも嫌いでそれを監視するために撮影に来た人なのかは、分からない。
 私はベンチに座って、氷ぜんざいを食っていたが、やはり爆音は聞こえない。滑走路のはるか向こうに戦闘機らしき飛行機があるが、のろのろと滑走路の上を動いて建物の陰に入って見えなくなった。
 カメラを持っている人が携帯電話で誰かと話している。「うん、そうだな、今日はもう飛ばないな」。
 空が少しずつ赤く染まってきた。
 氷ぜんざいで体は冷やされたが、喉は乾いたままだ。ペットボトルのジャスミン茶を販売機で買ってがぶがぶと飲んだ。
 カメラを持った人たちは、いなくなってしまった。
 後で知ったのだが、ちょうど嘉手納基地では滑走路工事が始まったらしく、この日は軍用機の発着が極端に少なかったのだ。


 基地があると、うるさいし、物騒だから問題になる。当然のことだ。うるささの忍耐にも限度があるし、物騒なのも命にかかわると黙っているわけにはいかない。
 しかし、もし仮に、あくまでも仮に、うるさくても物騒でも、基地が存在しないと、私たちみんなの生活や命が危険にさらされるというのなら、みんなが基地の存在をがまんしなければならない。そしてそのがまんは、生命や財産喪失の危険から避ける恩恵を受ける人は皆、一様に甘受しなければならない。これも当然のことだ。
 「基地はあった方が良いけれど、自分の家の前にはあって欲しくない」とか「基地は必要だと思うけれど、自分の土地だけは貸し出したくない」ということは通用しない。
 「自分だけが良ければ」というのも人情だから、そういう気持ちがあったとしても異常なことではないけれども、それはだめだ。そういう気持ちは引っ込めて、修正しなければいけない。
 なぜなら、それは“人道の問題”だからだ。したがって、沖縄の人だけが、基地の存在によって安静な生活を脅かされているなら、ただちに正されなければならない。これには議論の余地はまったくない。あらゆる手段を使って、沖縄の人たちが納得する方策を取らねばならない。
 それから「基地が雇用を生んでいるから仕方がない」という意見もあるが、それは本末の転倒した、言語道断の理屈だ。基地があるのは、一応、安全保障上必要だという前提のもとで存在しているわけで、雇用を生むために存在しているわけではない。
 雇用を生むためなら、本当に沖縄の人たちが望む形で雇用を創出しなければならない。
 これらは、沖縄に基地がどうしてもなければしかたがない、という前提の上での話しである。
 では、沖縄に基地は本当に必要なのだろうか、これほどの基地の集中、うるさくて物騒な基地が、少なくとも今日ただ今において。


 ある人は、絶対に必要だと言う。沖縄に基地がなければアジアの平和は保てないという。話し合いや外交などまったく通じない国が攻めてくるのを防ぐことためにも必要だという。
 別のある人は、基地は沖縄返還時やベトナム戦争当時の政治的・国際的問題の残りかすだから、今は必要ないという。そして、周辺の国と対話を続けることで少しでも仲良くして、攻めて来ないように外交の手段を尽くすべきだという。基地があると、そこを狙って来るからかえって危険だともいう。
 どうしてこうも意見が違うのだろう。しかしこれは“科学的”に検証されなければならない。あらゆる学問や知識や経験を総動員して、考えなければならない。
 本当に、基地があることによって平和が保たれるのか、どこかの国が攻めてくるから転ばぬ先の杖が必要なのか。それとも、話し合いをすることで攻めて来るのを防げるのか、基地がなくても平穏な生活はできるのか、沖縄に基地がなくても世界中の人々がおだやかに暮らせるのか。


 ここには「思想」という問題も介在しているような気がする。「好き嫌い」といっても良いと、私は思う。
 相手が拳を振り上げてくるなら(くると信じて)、こちらも拳を握りしめて待つ。あるいは、こちらから先に拳を振り上げる。拳を握りしめて見せて相手になめられないようにする。また、あわてて拳をにぎりしめるよりは、常に拳をにぎりしめ、振り上げ、振り下ろす訓練を積んでおけば、もっと効力は高まるだろう。拳ではなく、こん棒だったらもっと強いだろう。相手もこん棒を持っているかも知れないなら、鉄砲を持てばさらに協力だ。いや、核兵器なら無敵だ。こういう「思想」「好き嫌い」もあるわけだ。
 ずっと前、中国武術を修行している日本人にこんなことを聞いた。修行を積むと強くなるが、その流派の師匠はそれをさらに精神的にも修行を積んである境地に達した。その境地に達すると、誰もその師匠を攻撃しなくなる。恐れて攻撃しなくなるのではない。不思議なことに、誰もが師匠を攻撃しようとする気を持たなくなる。だから師匠から誰かを攻撃することがないのはもちろんだし、師匠も自分の技を使うことは、まったくなくなるのだ、と。これも「思想」「好き嫌い」だ。
 政治や外交の問題を、少数の人間同士の関係にたとえるとよく一笑にふされる。それは仕方のないことかも知れない。実際、外交や政治はそんな単純なことでないのは事実だろう。けれども、私たちの多くは、ごく限られた人間の間で生きて、死んでいく。その当たり前の感覚で物事を学び、好きか嫌いかを考えていきたいと思う。


 バスを降りてからもう2時間も経った。展望台にはほとんど人はいない。風が少しは涼しくなってきたようだ。
 私は展望台を降りて、基地の塀に近づいてみた。塀には「米空軍施設 無断に立ち入ることはできません。違反者は日本の法律に従って罰せられます。」と日本語と英語で表記してある。日本の司法で裁かれるとは意外だった。また元来た道を歩き始めた。爆音はやはりまったくない。
 うるさいのは、時折走りすぎる大型車両くらいだ。軍用車両もある。運転席に、迷彩服に迷彩のヘルメットをかぶった、白人と黒人の兵士が並んで座っているから、アメリカ軍の車だと思う。
 大型車が走り去ると、次に大きな車が来るまでの間、鳥が鳴いているのが聴こえる。住宅街の裏側には、少しは緑が残っているのだろう、そこで南の国の鳥たちが鳴いているのだ。
 私は、おそらく日本で最もうるさい土地の一つで、日本のどこにでもあるくらいの静けさ感じた。私は、わずかな時間を過ごしたヤマトからの旅人だった。非日常のストレンジャーであった。
 しかし、今日のこの静けさが、この土地の人々にとっては日常となることを願って止まない。