沖縄4日間の旅 第2回 〜本土からの客〜

 那覇バスターミナル近くのその居酒屋は建物の1階にあり、オープンテラスのような席も外に設けてあるが、店内は東京にあるような大きな居酒屋と変わらない。ただ、周囲には他に店もなくビルもなく、人影も外灯も少ない中にぽつんと居酒屋だけがある。しかし店内には客が結構たくさんいて、外の寂しさに比べると中は不思議なほどにぎやかだった。
 私の楽器、ユーフォニアムを預かってもらい、奥のカウンターに座った。沖縄そばを食べたいと思ったが、それは最後にして、少しだけ飲もうと思った。
 若い女性の店員に「チューハイに使っている酒は焼酎ですか、それろも泡盛?」と聞くと、そんなことを聞かれたことは今まで一度もなかったのであろう、一瞬びっくりして私の顔を見、少し考えていたが弱々しい声で「泡盛です」と答えた。以前、私は鹿児島でチューハイを飲んだらその焼酎が芋焼酎であって、東京との違いに驚いたことがあった。酒があらわす土地柄というものは、その土地の人には当然のことが、よその土地の人間には驚きを与えることがあるのだ。
 これから宿へ向かうことを考えると、疲れてもいるし、泡盛をやるのは“危険”かとも思ったが、チューハイが泡盛なら、もう泡盛を水割りか何かで飲んでしまおう。そこで、泡盛をグラスで1杯と注文すると、彼女は今度は大きな声で「2杯以上お飲みになるのでしたら、飲み放題のセットがお得ですよ!」と言う。
 私は、お店の人の勧めはいつも素直に聞けないひねくれたところがあるが、なるほど、メニューを確かめてみると、1杯300円ちょっとの泡盛が、飲み放題になると氷と水が付いて600円ほどだ。私はそれを頼んだ。肴に選んだミミグワー(豚の耳)の酢みそ和えとテビチ(豚足の煮物)で飲むと、実にうまい。


 飲み過ぎたと少し思いながら、締めに沖縄そばを食べて、バスターミナルに戻ると、あたりは相変わらず静かだ。出発の時刻を確かめていると小柄の初老の男性が「どこへ行くの、どこから来たの」と話しかけてきた。外国だったら、客引きか物売りだと警戒するところだが、ここなら心配はあるまい。何よりも少し酔って気持ちよくなっており、私は素直に答えた。するとその男性は自分も奥武島へ行くのだと言う。
 バスが出発すると、ほどなく乗客は私たち2人だけになり、やがて彼はすっかり寝込み、私もウトウトした。1時間くらいも乗っていただろうか、いつの間にか橋を渡って着いた目的地は、その路線の終点であった。私と彼は黙って降りた。
 バス停の目の前にトタン板に書いた民宿の看板が置いてあり、矢印が示してある。ところが彼は、矢印とは正反対の方角を指して「民宿はこっちだよ」と言って先に歩こうとした。私はあわてて「いや、しかし、看板の矢印はこちらを向いていますが」と言うと「ああ、そっちからも行けるよ」と答えて先に立った。周囲は暗く、人もいない。
 細い道を歩きだしてすぐ、3階建てのコンクリートの建物の前に立ち止まって「ここだよ」と言う。玄関はどこだろうかと私が戸惑っていると彼は「おーい! 本土からお客さんだよー!」とびっくりするような大声を出した。私は“本土”という言葉に、あらためて沖縄に来たことを実感した。
 宿の“おばあ”が現れると、男性はすっと立ち去ろうとした。私はあわてて彼に礼を述べた。おばあは、にこにこしながら私の名前も聞かずに「どうぞ」と言った。「梅原さんから聞いてます。お客さんが1人なので明日の朝食はありません。でもバナナ牛乳を出します。朝食は近くに食堂があります」と事もなげに言う。
 けれども私は「1人だから朝食がない」「バナナ牛乳」「近くに食堂」という言葉に、なぜか疑問を感じないまま、1階のシャワーの場所を聞かされ、3階の角部屋に案内され、トイレの場所を教えられた。


 部屋は和室の8畳だが、なぜか屋外用のプラスチック製の背の高いテーブルと椅子が2脚あり、すでに布団が敷いてある。扇風機はあるが、それ以外はテレビも何もない。窓の外はテラスになっていて部屋の周囲を回って各部屋につながっている。窓には網戸がはまっているが、この部屋も他の部屋もすべての窓は空いている。
 ぼんやりとした頭で、荷をほどき、シャワーを浴びに下へ降りた。もうおばあは出て来なかった。気が付くと22時を回っている。シャワー室は10畳くらいの広さで、民宿だけあってシャワーが4つ設置してある。しかし、浴槽はものすごく小さく、使って良いのかどうかも分からないので、とにかくシャワーだけ浴びることにした。せっけん置きが2つあり、1つには「おじい、おばあ」、もう1つには「お客さん」と、かすれた字で書かれていた。何だかやさしい気持ちになった。
 部屋に戻ってみると夜風が気持ち良い。明日の計画でも考えようかと思ったが、どうもそういう建設的な気持ちがなくなっており、廊下のカラーボックスに置いてあった『ゴルゴ13』を読むことにした。マンガ類の他に文庫版の『ツービートのわっ毒ガスだ』などが置いてあって、何だかますます気持ちから角が取れていく。布団に腹ばいになって『ゴルゴ13』を開いた。1980年代の東欧の状況説明が終わって雪の原野にデューク・東郷が登場する頃には、もう眠気に耐えられなくなり、電気を消し眼鏡を外した。
 窓から夜風と一緒に、どこか遠くのにぎやかな三線(さんしん)の楽の音とかすかな喊声が途切れとぎれに入って来る。どこかで宴会でもやっているのだろうか、居酒屋もあるまいに。それ意外には、波の音も、車の音も、テレビの音も、何も聞こえない。
 いつしか、深い眠りに落ちていった。
(続く)