カメムシの匂いのする葉

 武田百合子犬が星見た』(中央公論社)には、食事の品書きが克明に記されている。
 その中にこんなのがあった。
 「トマトときゅうりの薄切り、その上に香菜(これはパセリの代わりみたいなもの。くさがめ虫の匂いがする葉)」
 もちろん、中国語でいうところの香菜(シャンツァイ)、タイ語でいうところのパクチー、英語のコリアンダーのことだ。
 20年くらい前まで、日本人にはこの香菜はなじみがなく、これを出す料理屋も非常に限られていた。
 手に入れるのも大変で、それは私の随筆「こんなものを作って食った」第11回『北京の牛肉麺』にも書いた。
 『犬が星見た』の旅は、1979年のことだから、なおさら、香菜を知っている日本人は少なかったと思うが、香菜という中国語で表記してあるのはなぜだろうか。
 著者の同行者に中国文学者の竹内好がいたために、そう教えられたのか。しかし、そうした記述はない(この旅行記は記述が詳しいのだが)ので、分からない。
 現在でも、香菜を「カメムシのにおいがする」と表現する人がいるが、その頃からそういわれていたのだろうか。それとも著者の感覚がすぐれていたのだろうか。
 さて、この記述を読んで、私は『東南アジア旅行』(梅棹忠夫著 中公文庫版)の中にあった記述を思い出して、布団から出て、本棚から手に取ってみた。あった、あった。
 「『カウ・パッ!』とどなると焼き飯が出てくる。カウ・パッを注文すると、ひどく匂いの強い草をのせてくるのだが、かれはこれがきらいである。」
 この旅行は1957年から58年にかけてで、戦前に大興安嶺を学術探検したという梅棹氏も、香菜は知らなかったのかもしれない。
 「そこで、葉山君はかれに呪文をさずけた。『メ・トン・サイ・パックチー』」
 タイ語の勉強をしているところのエピソードだが、はっきりとパクチーと出てくる。私は以前にこの記述を見つけて、少なからず興奮したものだった。
 武田百合子さん、梅棹忠夫さん、今や香菜は、近所のスーパーで国産のものが売っていますよ。池袋に行くと中国産のもっと香りの強い香菜も売っていますよ。