親知らず下あご2本同時抜歯始末記〜前編〜

 しばらく前から、疲労がたまると歯が痛くなることがあったが、虫歯はないはずだし、抵抗力が落ちると炎症を起こすのだろう、と思いながら近所の歯科医院へ行ったところ、どうやら親知らずの下に「嚢胞」という患部があり、疲労で抵抗力が落ちると、そこが細菌感染して炎症を起こすのではないか、と言われた。
 ところが、その親知らずは、形状から非常に抜きにくいため、口腔外科での抜歯を勧められ、総合病院を紹介された。
 以前に、左右それぞれ上の親知らずは抜いてある。口腔外科でレントゲンを撮ったところ、右の下の親知らずは一部が歯茎の上に出ているが、下部のあごの骨に近い部分に嚢胞があった。また、左の下の親知らずは歯肉の下に埋没しているが、上部の歯肉の下と歯の間に嚢胞が見られる、とのことであった。
 通常の外来治療では、出血、痛み、腫れなど患者への負担が大きいとのことで、1泊で入院しての抜歯を勧められた。局所麻酔の他に、鎮静剤を抗生物質とともに点滴注入するとのことであった。
 そして先日、ついにその手術に及んだ。

 当日までは、体調と心の調子を整えることを心がけた。
 心配だったのは、手術の3日後に高校時代の吹奏楽部の仲間と会う予定があることと、3年ほど前まで抗うつ剤抗不安剤を服用していたため、鎮静剤が効きにくいのでは、ということであった。
 仕事が忙しくない時期を選び、無茶をせずに過ごしていたが、当日が迫ると何だか落ち着かなくなってきた。

 10時に病院に行き、入院手続きをし、病棟に入った。そしてパジャマに着替えた。
 昼食は抜きで、13時頃から抗生物質の点滴を病棟で受け、口腔外科の治療室へ行った。懸念事項を医師に聞いたが、心配はないであろう旨のていねいな説明を受けた。

 手術台(といっても通常の歯科の外来治療で使うイス)が低く倒された。頭が普段の治療よりはかなり低くなった。「では鎮静剤を入れます」と言われ、しばらくすると私は眠ったようだった。

 覚醒してきたのは、左の下のあごにかかる衝撃と痛みだった。がんがん、がきっ、ごりっ、ぐぐっ、がんっ、といった衝撃でどんどん覚醒し、うめき声と、足をよじる動きで医師に痛さを伝えた。
 医師が「ああ、痛いですね」と私に言い、さらに「これはだめだな、今度、全麻(全身麻酔)でやらないと」と助手に言っている。
 
 深い眠りのうちに、右下の親知らずはすっかり抜けていたようだ。しかし、左下が抜けないらしい。
 説明によると、左下は根の部分が残っていて、あらためて全身麻酔でないと抜けないだろう、とのことだった。しかし、残った歯はほとんどが骨にやがては“吸収合併”されるであろうから、一応はそのままでだいじょうぶだろう、そこから疾患になる可能性は低いであろう、とのことであった。

 おそらく、粉砕しながら抜いたが、最後まで抜ききらないうちに、麻酔も覚めはじめ、患者(私)への負担が限界だと感じたのだろう。
 傷口を縫合して手術は終わった。

 マウスピースのようなものを外され、手術台から降りながら用意された車いすに乗り、看護師に押してもらって病室へ戻った。
 処方されていた鎮痛剤を飲んだ。そのせいか、その時には痛みはさほではなかった。あまり腫れてもいない。

 夕食は、全粥ということで、やわらかい米飯が主食であったが、副食はごく普通のもので、豚肉とタケノコの細切り炒めなどは咀嚼するのに苦労して、ほとんどを前歯で噛んで、3センチの長さの肉絲を1.5センチの長さにして飲み込むだけであった。
 米の飯などは、やわらかめであれば、しっかり噛まなくても口腔内で、もごもごやっているうちに唾液のアミラーゼと混ざって、それほど不消化ではないだろうが、副食がこれでは、なんのための全粥メニューなのかさっぱり分からない。

 心身ともに疲れ果て、題名が他の人から見えにくいようにカバーを外した『天皇の軍隊』(本多勝一・長沼節夫著 朝日文庫)を少し読んでいたら、すぐに眠りに落ちていった。

 翌朝は、やはり全粥と普通のおかずであった。
 食後、口腔外科で口内を消毒し、翌週の診療の予約をし、退院した。
 腫れも痛みもさほどではなかったが、それが頂点に達し、左の頬がぱんぱんに腫れるのは、もう少し後のことである。
 そして私は、抜歯とはいえ、身体を切り刻む外科手術が心身に与える影響の大きさを、身に沁みて感じることになる。
(続く)