自由な大人と粗野な大人

 ロッカー(ロック音楽奏者)である父親と家族との触れ合いそして成長を描いたという、ゴールデンタイムのドラマが、低視聴率を理由に打ち切りになるそうだ。
 昔から、大人になっても自由な発想と生き方を貫いている人と、大人になったのに粗野で無邪気な人を混同するすることがあって困ったものである。
 自由な大人は、“大人社会”のしがらみや保守性や守旧性に囚われることなく、自分自身の発想を持って、時には子どもの頃のような晴れ晴れとした気持ちで生き抜こうとする。
 けれども、そういう生き方は、世間の多数とは異なるため、相当にしんどいものである。自分で常に判断を下して前に進まなければならないから、覚悟が必要だし、それを貫き通すための努力も必要だ。しかも、失敗しても誰のせいにもできない。
 だからむしろ、周囲には気を遣うし、思いやりを持って、心を広く、寛容でなければならない。教養や知性も大切なものだ。
 ところが、これを取り違えている人は、子どもならある程度は許されることもある粗野で粗暴な振る舞いを、いい年をして続けている。それが自由な生き方だとはき違えているのである。
 ルールに従わないことが、自由だと勘違いもしているので、非道徳的であり、他人様に迷惑を掛けること甚だしいこともある。ひどく下品なことも多い。
 ルールや秩序に従わないのは、ただの子どもの反抗であって、本当の自由を求める大人は、人に迷惑を掛けないようにしながら、時にぎりぎりの逸脱を試みるのである。
 さて、もし視聴者が、そういう勘違いを演出の中に見出して、そうして見なくなるとしたら、そこにはまだ、救いの部分があるのかも知れない。