嫌だと言える時代と言えない時代

 大学時代の旧友Yと珍しくメールのやりとりをしていた中に、このような一文があった。
 「ウチの親父は、小さい子どもが『イヤだ』と言うのを聞くと『あーいい言葉だなあ』と言っていた。親父たちの世代は『嫌だ』とは言えない時代に生まれたからね」「何が不遇なのか、良いのか分からないな」
 いろいろと考えさせる言葉だと思う。
 嫌なことを「嫌だ」と言えない時代は、不幸だとは思う。「嫌だ」と言える時代は、自由な時代ではある。けれども、自由というのは、たぶん相対的なものだから、ほかの時代や、同時代のほかの社会と比べることになる。それに自由とは何をもってそう呼ぶのか。

 戦争の時代に少年期から青年期を過ごした私の父と、高度経済成長期に子ども時代を過ごした自分との比較をよく考える。
 それから、映画からもそうしたことを考えることがよくある。『東京物語』(小津安二郎/1953年)を観ると、笠智衆らの世代は、子どもを戦争で亡くしている設定となっている。戦争が終わって8年後で、もう引退した世代だ。『秋刀魚の味』(同/1962年)では、笠智衆はかつて海軍士官であり現在は会社の重役である。その子どもの佐田啓二は、結婚したばかりだから、戦中戦後は小学生くらいだろうか。これから高度経済成長の主役になることだろう。

 ひるがえって、私自身は、高度経済成長とともに成長し、バブル期に社会人になり、その後の“凋落”を見ている。
 よほど“過激”な言動でない限りは「嫌だ」と言ったくらいで、弾圧されたり、懲罰招集(兵役)されたりすることは、もちろんなかった(もっとも、いわゆる新左翼が火炎瓶を投げた最後の最後の世代でもあるので、周囲の人間がすべて完全に何でも「嫌だ」と“言えた”わけではないが)。

 これからは、かつての成長のような意味での成長は、日本社会としては見込めないだろう。けれども、そうした成長が望ましいとも思えない。
 自分自身のこととして考えても、もっとおだやかで、落ち着いた、お互いをいたわり合えるような、そんな世の中にしていきたいと思う。
 もし、そんな世の中になったら「嫌だ」という言葉は、どんな時に出る言葉となるのだろう。