「都市から郊外へー一九三〇年代の東京」展を観て

 先週末、世田谷文学館で開催されていた、世田谷文学館世田谷美術館の共同企画による「都市から郊外へー一九三〇年代の東京」展を観に行った。
 1932年の世田谷区誕生の背景としての都市・東京の様相を、文学、絵画と彫刻、写真、版画、映画、音楽、住宅、広告の分野から構成して描き出そうとした展示であった。
 美術展と違って、こうした展示は、感性だけでなく知力を使うので、それもそれで観るのは消耗する。このあとに予定があったので2時間半を使ったが、十分に観たとはいえない。しかし、知力も限界であった。図録を購ったので、ゆっくりと観ることにしよう。
 さて、この展示を観て、いろいろなことを思った。
 1930年代の東京には、私の母方の祖父母が落ち着いており、母が生まれた。この頃の東京に今の自分との連続性を感じる。
 一方で、この展示で見た、建物や人、町並みのいくつかが戦争によって失われた、その断絶も感じるのである。けれども、幸運にもその断絶をくぐり抜けてきたものもあったおかげで、現在の自分が存在しているという、もっと強い、連続性も感じるのである。
 それから、1960年代半ばから1970年代半ばにかけて、東京の山の手の端に育った私の身の回りにあった「文化」には、1930年代とほとんど変わらないにおいもたくさん残っていた。
 小学校の図書室の蔵書(もちろん子ども向けのもの)には、今回の展示にあった江戸川乱歩の本の挿絵や一般書の装丁と少しも違わない感覚があったし、私が子どもの頃の大人の顔つきや体つきは、1930年代当時のさまざまな写真に登場する日本人のそれと同じであった。
 こうしたことに連続性を感じ、その底に哀惜を覚えるのは、単純にいえばそれは私のノスタルジーだいうことになろう。
 しかし、どうしてそうしたノスタルジーを強く感じるのかと考えると、それは私も、自分がどこから来たのか知りたいからに外ならないのではないか。
 自分の精神的な部分を形づくっている、たくさんの粒の集まり。その粒の一つひとつがいったいどこから集まって来たのか、それが知りたいのである。