パキスタン北部フンザとギルギットの旅

 先般からの報道によると、パキスタン北部の治安悪化にともない、ギルギットで日本人観光客が足止めされていたが、無事に脱出できたという。
 私はこの地域に2回旅をしているので様子も気になっていた。そしてその旅を思い出していた。
 1990年と2000年のそれぞれの夏、北京から陸路でシルクロードを西進してイスラマバードまで至った旅であった。
 北京から、中国で最長距離の列車に3泊4日乗り続けて新彊ウイグル自治区省都ウルムチに着く。そこから1回目の旅ではバス2泊3日でカシュガールに。2回目は鉄道が通じていて1泊2日の列車の旅だった。
 カシュガールからはバスで国境の町、タシュクールガン・タジク自治県へ。ここはもうパミール高原だ。
 そしてまたバスで標高4600mのフンジュラーブ峠を越え、すなわち国境を越えて、パキスタンのカリマバードへ。ここからフンザの集落へ上がる。
 1回目の旅では広い道路が整備されておらず、徒歩で何時間も歩くか、ジープをチャーターするしかなかった。私と友人3人はジープで登った。
 フンザは映画「風の谷のナウシカ」のイメージのもとになったといわれている、広い谷を望む高地だ。当時は、電気も来ておらず、ランプの明かりだけだった。近くには氷河もあり、その雪解け水が飲料水にもなっていた。
 夜空はものすごい星空で、これまでに見た最も美しい天空であった。
 フンザから麓の町ギルギットへバスで降りた。1回目の旅ではここで友人らと別れて一人になったが、この時にたいへんな下痢になり、しかし、こんな山里にいてもどうしようもないので、お腹が下りっぱなしのまま、ボロボロの夜行バスでデコボコ道を13時間旅してイスラマバードへ下って来た。途中では何度も検問され、また、民兵がライフル銃を肩に乗り込んで来るようなこともあった。
 パックツアーの旅ではないから、ほとんどすべてが、自分の責任によるものであり、だからこそ自分だけの本当の血肉を我がものとすることもできたのだと、今になって思う。