シリーズ「電車で業」8-戦後日々人情に疎き折柄

 「戦後日々人情に疎き折柄にして、今夕は云々」というのは、映画『秋刀魚の味』(小津安二郎監督 1962年)で、かつての教え子から宴席に招待された元漢文教師の東野英治郎が言う台詞で、まあ、つまり、戦後は人情が薄くなったということだ。
 先日、あれは夜の10時頃だったか、珍しくそれほど混んでいない東京駅東海道線のホームを、急ぎ足で歩いていた。次の電車の順番待ちの列に早く並ぼうと思ったからだ。長距離の人は、座席に座るために、次の電車、その次の電車と、列を作って待っているのだ。
 私もその列に着こうと、ホームの下へ行く階段の脇を小走りで通りかかると、階段の方から、ズダーンという音が聞こえた。それは人間か、さもなれば人間並みに大きくて重量のある荷物が、落ちた音としか思われないものであった。
 けれども、誰もそちらの方を見ない。私は急いで階段を覗き込むと、一人の男性が頭を下にして、階段でぶっ倒れていた。
 私は肩から下げていたカバンをさっと袈裟がけにして、ぐるっと回ってそこへ行こうとした。
 その時、その階段を数人の男女が上がってきたが、誰も立ち止まらない。階段上のホームに電車が入線しているか、列の並び具合はどうか、それだけを見ている。みんなそうであった。
 私はぶっ倒れた男性に近づき、「だいじょうぶですか、頭打ってないですか」と声をかけた。「だいじょうぶです」と、明らかに酔った声で答えが返ってきた。
 服装は整った、30代くらいだろうか、目を開けることもできないほど泥酔しているようだったが、どこからも出血している様子はなかった。
 私はさらに「体を起こすよ」といって、下がりっぱなしの頭をとにかく上にしようとした。かなり重かったが、その時、誰かが「今、駅員さん呼んできます」と、私か、ぶっ倒れた男性か、両方かに声を掛けて遠ざかった。
 すぐに駅員が来て「ありがとうございます」と言って、男性を介抱し始めたので、私は、その場を離れ、電車待ちの列に連なった。幸いに、その電車に座ることができた。
 私は、ズダーンという転倒音を聞いており、それ以外の、階段の横を駆け上がっていった人たちは、その音を聞いていなかったから、ただの酔いつぶれた人だと思ったのかもしれない。
 駅では、酔って寝込んだ人や、寝転んでいるホームレスの人たちの姿は珍しくないし、私はそんな人たちに、いちいち、だいじょうですか、などと声をかけて歩いたりはしない。
 しかし、こういう無関心を見ることも、珍しいことではない。もちろん、一方では必ず親切な人の行為も目にするのだが。
 私が、こんなことを書いているのは、自分が正義感と人情にあふれた人間であることを誇示しようと思っているのではない、とは言えない。結構それはある。
 しかし、やはり思うのは、「戦後日々人情に疎き折柄」がだいぶん、積み重なってきた、ということである。