『東京の三十年』(田山花袋)

 昼間の暑気に打たれて、蒲団にごろ寝し、枕元にあった『新修 日本文学史 改訂版』(京都書房 1980年改訂版4刷)を見たら、田山花袋の『田舎教師』の項に、「舞台は埼玉県の利根川べりの行田あたりで、地方色がよく描かれているいる小説である。藤村の随筆『千曲川のスケッチ』とともに自然描写がよく効果をあげている』とあった。
 私は、重い体を持ち上げて、書棚から花袋の『東京の三十年』(講談社文芸文庫 1989年9月初版)を取り出した。
 『東京の三十年』は、確か、以前に岩波文庫で出ていたが、絶版になった。私は購おうとしてかなわず、古書店も含めて随分と探した。それがこの講談社文芸文庫版が出て、おそらく89年に、読むことができたのである。
 入手して、ぱらぱらと読んで、書棚に入れていたが、今日取り出して読んでみて、こんな一節があったのを見いだした。『山の手の空気』という項である。
 「柳町の裏には、竹薮などがあって、夕日が静かにさした。否そればかりか、それから段々奥に、早稲田の方へ入って行くと、梅の林があったり、畠がつづいたり、昔の御家人の零落して昔のままに残って住んでいるかくれたさびしい一区劃があったりした」
 私はずっと前から、江戸や古い東京の名残りをいつも探している。しかし探しても、もうそれらはほとんど見つけることはできない。
 だから、こうした記述を見つけると、うれしいのである。
 書かれた風景は明治の半ば頃だろう。だから落ちぶれてしまった士もまだ東京のそこここにいたろうが、それにしても、御家人がそのまま住んでいる一角とは、どんなところなのだろう。
 そのことを、ずっと想像し続けるのが、また、うれしいのである。