『老北京城與老北京人』

 『私と20世紀のクロニクル』(ドナルド・キーン著、2007年中央公論新社刊)を読んでいたら、著者が、終戦直後に北京を見る機会を逸したことを嘆いている記述があった。「それは、無残にも近代化される前の北京だった」とある。
 私が見た北京は、もちろん、キーン氏が言うところの、近代化された北京ではあったが、キーン氏も、北京オリンピックで完膚なきまでに近代化された北京までは、知らないのかも知れない。
 それほど、北京はこの20年で変わってしまったし、20年前は、それでもまだ、古き良き北京の片鱗はあったと思う。
 書棚から引っ張りだした1冊の写真集を見て、その思いを強くした。同時に古き良き北京に不思議な懐かしさを憶えた。
 『老北京城與老北京人』(1993年香港・海峰出版社刊)は、戦前、民国時代(中華民国、国民党政権時代)の北京の街と人々の暮らしを撮影した写真を、現代になってまとめたものだ。
 題名は『古き北京の街と旧き北京の人々』といったところか。北京に限らないが、中国の街は城市であり、城壁で囲まれている。
 最初のページに、雪をかぶった正陽門を背景にした大通りの風景写真がある。電信柱が立っており中空には何本もの電線が張られているが、道路には人力車が何台が雪道を走っている。
 私は、この光景を見たことがある、とすぐに思った。前門近くの繁華街、大柵欄の写真もそうだ。人物は皆、もちろん昔の中国服を着ている。私が生まれる、40年も前の風景だ。
 けれども私は、どの写真を見ても、懐かしさだけを感じる。切ないほどの懐かしさ。そして安らかな気持ちになる。
 やっぱり、この頃にも、私は北京にいたのだろうか。