酒を飲んで四半世紀になるけれど

 成人式の時候になると、酒の飲み方について、酒造会社などの宣伝が喧しくなる。
 
 私は二十歳の時から酒を飲み始めたとして、もう四半世紀以上飲んでいることになるが、それでもまだまだまったく、生きることと酒との関わりについて分かっちゃいないことを感じさせる言葉がある。
 
 詩人の田村隆一の言葉だそうだ。「私も長いこと酒を飲んできたが、親しかった人の通夜の酒がいちばんうまい」(『往生際の達人』(桑原稲敏 新潮社)から)。
 
 これはまったく、生きることにも酒にも、両方についてベテランでなければ、なかなか簡単には言えない言葉だと思う。
 
 黒澤明の映画『赤ひげ』の中には、こんな台詞がある「うるせえうるせえ、おらア九ツの年から飲みはじめて、それからってもの酒の気の切れたことのねえ人間だ、素面の時は知らねえが、酔ってる時に見さかいがつかないためしはねえ」(『キネマ旬報復刻シリーズ 黒澤明コレクション「黒澤明三船敏郎 二人の日本人」収録の脚本から)。
 
 これもなかなかに言えない台詞ではある。
 
 酒は、飲む人と飲まない人がいて、理由はいろいろだろうが、どちらが良いとか悪いとかではない。ただ、生きていくなかで、飲むのと飲まないのでは、ずいぶんと何か違いがあるのではないか、とずっと思っていたので、こうした言葉や台詞が気にかかるわけだ。
 
 しかし今考えてみると、そこには、ほとんどまったく違いはないように思う。酒は重要な人には重要で、それはその人が酒を飲むのが好きだからといった単純なことではないが、生きていくうえでは、その人に関わる要素は無数にあるので、さらに単純ではないわけで、だからつまり、違いはないのではないか。
 
 とか、くどくど書いていたら、飲みたくなってしまった。西巣鴨のやきとん屋へでも行きたい。私は家では飲まないので。