1931年9月18日

 私の高校時代の日本史の教科書(山川出版社 1973年文部省検定済 1980年改訂検定済)の第10章「近代日本と世界」の3項は「軍部の台頭」なっており「満州事変と国際連盟脱退」の小見出しがある。
 
 ここに、「陸軍とりわけ関東軍は」「武力によって満州を中国の主権から切りはなして日本の勢力下におこうと計画し」1931年9月18日に「奉天瀋陽)郊外の柳条溝で南満州鉄道爆破事件(柳条溝事件)をおこし、これを中国軍のしわざとして軍事行動を開始し、満州事変がはじまった」とある。
 
 ちなみに「柳条溝」という地名は、現在では本来の地名である「柳条湖」に修正されているのが、一般的である。
 
 日本は、ここから15年間、中国だけでなく、やがてはアメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア、フランス、アジアの欧米植民地現地軍、ソ連などを相手とする戦争に突き進んだ。
 
 さて、本日はその柳条湖事件から79年目で、先の尖閣諸島問題もあり、中国では反日の動きが盛んになっている、と報道されている。
 
 大陸の中国人をはじめ、香港人、台湾人、東南アジアをはじめとする世界中の華僑のあいだで、この9月18日が何の日なのかを知らない人は、ほとんどいない、と聞いたことがある。
 
 しかし、日本人でこの日が何の日なのかを知っている人は、ほとんどいない、と思われる。
 
 私は、この日が日本の本格的な武力侵攻の始まった日だと認識するようになったのは、この教科書を読んだ高校生の頃ではまったくなく、後に歴史的な意味を認識したものの、この年と月日を記憶するようになったのは、ほんの10年くらい前だろうか。つまり私も、何の日なのか知らない大勢の日本人の一人だったのである。
 
 一昨日読了した『私の戦争』(黒木和雄著 岩波書店 2004年初版発行」の中に、こういう一節がある。新聞記者として日本の原爆被害を発信し続けた大牟田稔という人の言葉として、
 
 「被爆体験、あるいは戦争体験を聞くだけでは継承にならない」「聞くことは大切ですが、それはあくまでも土台なのです…その土台の上に…なぜその人は被爆、あるいは戦争体験を強いられたのか、なぜそのような時代になったのか、という『歴史を正しく学ぶこと』…『現代を深く調べること』…再び生み出さぬために何か『行動(実践)すること』…この三つを積み重ねて初めて…戦争体験が次の世代に伝えられたと言えるのです」
 
 とある。
 
 私は、もっともっと歴史を学び、現代を知り、何かをしていきたい。