911アメリカ同時多発テロ

 2001年のあの日、私はテレビを見ていた。ニュースステーションのこの日のトップは、台風の被害状況のニュースだった。
 
 始まって数分も経たないうちに、急にアメリABCテレビのニュース映像が出て、キャスターが(この時は久米宏ではなかったと記憶している)「ニューヨークの貿易センタービルに航空機が「衝突した」というニュースが入っています」と告げた。
 
 そのまま情報が進展しないうちに、再び流れたABCの画面を見てキャスターがすっとんきょうな声を上げた。「あれ? セカンド・プレイン・ヒッツ(SecondPlainHits)と字幕にありますが、2機目ということでしょうか?」。
 
 そして、はっきりと、双子のビルのもう一方に別の飛行機が「突っ込んだ」ことが判明した。
 
 他局もこのニュースを流し始めた頃、今度はワシントンからの映像が流れた。私は「あれ? ワシントン? ニューヨークでしょ」と思ったが、それはワシントンのペンタゴンにも1機突っ込んだニュースで、さらにピッツバーグ郊外に1機墜落したことが報じられた。
 
 私は、政治に詳しい友人に電話をした。別の知人からはメールが来た。
 
 やがて、2棟の貿易センタービルは崩れ落ちた。
 
 当時存命だったPLOアラファト議長は事件を非難し、一方で、パレスチナの住民が空砲を打って祝福している映像も出た。アメリカは臨戦体勢に入り、日本の米軍基地へのテロが心配された。
 
 私が子どもの頃、ベトナム戦争終結し、高校から大学の頃に冷戦が最後の高まりを見せ、初めての海外旅行を一人でインドヘ行った大学の時にイランイラク戦争があり、大学を卒業する頃に日本のバブル景気がふくらみ、1989年に中国で天安門事件が起き、その翌年、私が北京からシルクロードを横断してパキスタン国境を越えた日にイラククウェート侵攻が起こり、1991年にソ連が崩壊し、私がフリーランスになった翌年にアメリ同時多発テロが起き、アメリカの景気が大きく後退し、日本も未曾有の不景気になり、アメリカ初の黒人大統領が誕生し、日本の自民党政権が終わり、今、世界中で民族主義がぼっ興している。
 
 2001年9月12日の朝刊とその日の夕刊、それに2003年3月20日イラク戦争ぼっ発の新聞を、私はそっくり保管しており、毎年、9月11日にそれらを出して眺めることにしている。
 
 それぞれ1面の、墨ベタ白抜きの巨大な見出しには「米中枢に同時テロ」「米テロ死者数千人」「米英、イラク攻撃」とあり、その面のどの写真にも黒煙や炎が写っている。
 
 私の父と母は、若い頃を戦争の中で生き、死にかけて生き延びた。私は若い頃を、平和の中に生きて来た。私のこれからは、どのような中で、生き延びることが、できるのだろうか。