WHO世界自殺予防デーと自殺志願者の心

 今日、9月10日は「WHO世界自殺予防デー Woerld Suicide Prevention Day」である。
 
 WHO(世界保健機構)では、「自殺は深刻な、しかし予防可能な公衆衛生上の問題である」としている。
http://ikiru.ncnp.go.jp/ikiru-hp/measures/yobodayj.html
 
 私のホームページで最近更新した「わたくし」第9回『うつ病その4−人に頼るということ−』http://iwama.books.officelive.com/watakushi009.aspx
 
 では、いわゆる「うつ病」に関する私の知識と考えを記しているが、その向こう側には、究極的に自殺を予防したいという思いがある。
 
 わが国の年間自殺者数は公的な統計によると、12年連続で3万人を超えている。かつては交通事故死者数の3倍であるといわれていたが、ここ10年ほどで交通事故死者数は幸いなことに減少し、近年は5000人ほどなので(これでももちろんつらい数字であるが)、自殺者数はこの6倍近い数字となっている。
 
 この危機的な事態に対して、少しずつではあるが、さまざまな分野から予防と対策のアプローチがなされていることは、もちろん良いことだ。しかし、現状にはまだまだ追い付いていないのが実情であろう。
 
 自殺者が減少しない要因には、少なくともわが国では、戦後の家族とのつながりや地域社会の急激な変化、文化的価値観の変化、科学技術の進歩に対する社会の対応の未熟さ、政治、経済の状況などさまざまなことが考えられる。
 
 その予防の対策のためには、行政、マスコミ、民間団体、宗教、それにもちろん医療やその周辺領域、心理学をはじめとする社会科学、自然科学、人文科学のさまざまな学問領域などが、専門的にアプローチをすることと、それを統合することが必要であろう。民族や地域の特有の文化に根ざした考え方も大切だろうと思う。
 
 そうした中で、私が、近視眼的に自殺志願者の心の中を思う時に、いつも考えることがある。
 
 自殺志願者に対して、その「非道徳性」や「愚劣さ」を説こうとする人が意外に多いということへの危機感である。「命の大切さ」を説くことにさえも、私は疑問を感じる。
 
 自殺まで考える人の多くは、真剣にまじめに生きようとするからこそ、突き当たる壁に苦しんで、命を絶つことまで考えるのである。
 
 最も生きたい、生き延びたいのは、自殺志願者そのものである。そんな人が、死んでしまおうとまで考える、そのすさまじい心の中に、どうか寄り添って欲しい、と私は強く思う。
 
 このあたりのことは、また、あらためてホームページ上ででも書こう。
 
 一昨日、朝方まで原稿を書いていたことと、ここ数日の涼しさで猛暑の疲れが出たこともあって、このような重いテーマを簡潔に書こうとしたら、くたびれてしまった。
 
 やれやれ、そろそろ打ち合わせに出かけよう。その前に、渋谷でラーメン食べて、名曲喫茶に寄ろう。