『父と暮らせば』で嗚咽するだけじゃだめだ 120806

『父と暮らせば』で嗚咽するだけじゃだめだ
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 初めて観た芝居は、劇団こまつ座の『父と暮らせば』(1994年9月新宿・紀伊国屋ホール、すまけい、梅沢昌代主演)だった。
 その10年後に、映画化された『父と暮らせば』(2004年、黒木和雄監督、宮沢りえ原田芳雄主演)を観た。
 この映画の方には縁があった。しばしば一緒に仕事をした写真撮影業の遠崎智宏さんがスチールを担当しているのだ。
 遠崎智宏さんは、続けて黒木監督の『紙屋悦子の青春』(2006年、原田知世永瀬正敏主演)のスチールも担当している。そして、黒木監督は『紙屋悦子の青春』が遺作となり、2006年に急逝した。
 そうした思い入れもあって、私は黒木監督の戦争レクイエム三部作とされるこれら(もう1本は『美しい夏キリシマ』(2002年))を強い気持ちを持って鑑賞した。
 『父と暮らせば』は、原爆で肉親も友達も失いながら生き延びた自分に負い目を感じている宮沢りえの、切なくもひたむきな気持ちと、幽霊になってまで娘を励ます原田芳雄の親心、そしてそれらを全身全霊で表現する2人の芝居、さらに原作も脚本も演出もすばらしかった。
 私は、観ている途中から涙が止まらなくなり、ハンカチで窒息するほどに口を押さえ、映画館で嗚咽した。
 

 しかし、戦争を扱ったこうした作品に心を揺さぶられるたびに、私は自戒を忘れていはいけない、と思う。
 情動に流されて終わっては駄目だ、理性で考え続けなければ、と。
 原爆は、アメリカという国家とその支配層が、意志を持って投下した。亡くなった日本の、何の罪もない一般市民たちは、殺されたのである。
 自然災害や、高齢による寿命で亡くなったわけではなく、人間によって殺されたのだ。だから、悲しんでいるだけではいけない。その原因を探り、悪い奴を告発し、二度と繰り返さないように考え続け、必要な行動をしなければならない。
 原爆も、戦争も、沖縄の基地の問題も、福島の原発事故の問題も、みんなどこかでつながっている。そのつながりを解き明かさなければいけない。

 
 去年、神奈川の湘南地方に越して来て、そうして今日初めて広島原爆の日を迎えた。
 地元自治体による原爆投下時間に合わせた黙祷の呼びかけがあり、8時15分にチャイムがなった。そのしばらく後、ツクツクボウシが鳴くのを今年初めて聞いた。いつもは8月15日の終戦記念日前後に鳴き始めると思っているが、今年はちょっと早いようだ。
 あの日から、67年目だという。