脳と心 〜発達障害者の物語 序の5 高齢者の発達障害はどうなっているのか〜

 発達障害というものが話題になった最初の頃は、ほとんど専ら「子どもの発達障害」についてだったように思う。
 自閉症は、もっと以前から知られていたが、子どものさまざまな“問題行動”が、家庭環境や教育の問題ではなく、脳の機能の問題が原因であることが唱えられ、研究も進んだ。そして、注意欠陥・多動性障害やアスペルガー症候群それに学習障害がよく言われるようになった。
 やがて、発達障害が子どもだけの問題ではなく、大人の問題としても話題になり始めた。十代後半以降、家庭での“問題行動”に家族が悩み、やがて職場での“問題行動”に本人も周囲も悩みを深める。
 そうした行動の原因が悪意や怠惰ではなく、先天的あるいは出生直後の何らかの脳の損傷によることが分かり、その実態や対策が講じられる動きが出て、報道などでも取り上げられる機会が多くなった。
 私が、発達障害に強い関心を抱くようになったのもこの頃で、今から5、6年くらい前だろう。
 ところが、ふと高齢者の発達障害については、言及がないことに気づいた。高齢者の自閉症については多少あるようだが、日常生活の中で問題となる注意欠陥・多動性障害やアスペルガー症候群が、高齢者においてはどうなのか、目にすることがない。
 発達障害が、環境によるものではなく、出生時からのものであるとすれば、高齢の発達障害者は、幼少期から少年・青年期、壮年期から高齢期になるまで、ずっと発達障害を抱えて生きてきたことになる。
 その人の人生からすれば、ごく最近に至るまで発達障害などという概念や“病名”は社会に存在しなかったから、もしかすると随分と苦労をしてきたのではないだろうかと、勝手ながら想像してしまう。
 自分としてはまじめに一生懸命に努力してきたのに、ずっと誤解をされてきたとしたら、その人は、世の中や世の中の人々をどう捉えるのだろう。
 発達障害ゆえに、特殊な能力を発揮して、学者や芸術家、技術者など高度な専門性を必要とする仕事に就き、周囲に何と思われようが気にせずに、社会の中で役割を果たしてきた人もいることだろう。
 よく「発達障害を持つ人には、天才と呼ばれる人が多い」などという。そういう面も確かにあるだろうが、そうでない人もいる。前回述べたように、その症状の出方には「連なり」もあるのだ。
 だから、ごく普通の職業に就いて、ごく普通に結婚して、子どもを育てたけれど、何かどこか、これまでぎくしゃくしてきた人間関係の原因が発達障害だったとしたら、と思ってしまうのである。
 高齢であれば、これまで多くの人が関わってきたはずだし、家族はその人と長年にわたって接してきているわけだ。
 高齢の自分の親が、どうも発達障害なのではないかと思ったとき、一体家族はそれをどう捉えたらいいのだろう。
(続く)