昭和の飲食店の閉店相次ぐ

 昭和40年代に開店した、地域の個人商店、とりわけ飲食店の閉店がここ最近身近で相次いでいる。
 私は想像する。昭和30年代に地方から集団就職で上京し、それぞれが働きながら修行し、頑張って自分の店を持つ。最初は苦しいけれども、結婚し、子どももでき、高度経済成長とともに少しずつ商売も軌道に乗り、昭和50年代には、すっかり地域のおなじみの店となっている。
 昭和が終わり、バブルを迎え、やがてバブル崩壊がやってくるけれど、これまでの長い信用もあり、何とか乗り越える。
 夫婦で切り盛りをしてきた店だが、年を重ね、だんだんつらくなってくる。けれども人を雇えるほどの余裕はない。
 子どもたちは会社員になり、跡を継ぐことはしない。親もそれを強いてとは言わない。
 経営が立ち行かないということではないけれど、惜しまれながら、一代限りで終わりとなってしまう。
 パン屋、ケーキ屋、そば屋、ラーメン屋、トンカツ屋、定食屋などなど。
 その後には、照明だけがまばゆいチェーン店が進出してくる。そして、次々と入れ替わって行く。
 昭和の飲食店の閉店を惜しむのは、しかし、無責任なノスタルジーに過ぎない。閉店する事情もつまびらかに知らないのでは、やはり想像に過ぎない。
 けれども、昭和の店に代わって、自分にとって魅力を感じるものが出て来ないとしたら、私はずっとノスタルジーだけで生きて行くことになりはしないか、それは本当に恐ろしいことである。