野の草を食べる

 当地は、野山が周囲にあるので、今の季節は野の草を採ってきて盛んに食べている。
 セリはおひたしに、ノビルは薬味や味噌汁に、クレソンは付け合わせに、カンゾウは味噌汁に、フキは寿司や煮物に、フキの葉は佃煮に、イタドリはゴマ和えに、木の芽(サンショウの若葉)は薬味に。
 昔の人は、こういうものを当たり前に食べていたわけで、都会の人でも、現在よりは野菜はもちろんだが、やはり季節ごとに野の草も食べていたことだろう。
 以前は、ほとんどすべての日本列島の住民がこうした食生活を送っていたのに、わずか50年ほどで一変してしまった。
 今では、朝から晩までほぼ毎日、加工食品だけを食べて生きている人など珍しくもないが、そもそも、子どもの頃から加工食品だけで育ってきたら、季節ごとの野菜の煮物や、手作りの魚料理など、ほとんど口にしていないのだから、野の草の味を知ってるも知らないも、うまいもまずいもないだろう。それは本人の責任とばかりはいえない。
 大量の化学調味料と砂糖で味付けされて(ここ10年くらいで化学調味料の大量使用にはごく一部に多少の見直しもあるが)、画一的で平板な味にしか慣れていない舌には、フキの苦み、イタドリの酸味、木の芽の強烈な香りなどは、不快なだけかも知れない。
 いや、私の世代から加工食品を日常的に食べる生活はあった。子どもの頃は、昨日はフキの煮物、今日はウインナーソーセージ、明日はカレイの煮付け、などというのは珍しくなかった。
 幸い、私は好き嫌いはなかったが、一方で、セロリやパセリが食べられない子どもなんかもいて、それらは、その子どもの親の世代にはなかった食べ物で、したがって食膳に上らないものだったのかも知れない。
 それはともかく、食べ物というのは、極めて文化的な要素の強いものだから、食べ物そのものと、その周囲の文化が相互に影響し合っているわけで、つまり、日本の四季に応じた複雑で繊細な食味を知る人と、加工食品だけを食べている人では、背景の文化がまったく異なるといってもいいかもしれない。
 これは、単純に世代で異なるだけではなく、現在の60歳代から分かれていると思われる。同時に、ごく若い世代でも自然の味に親しんでいる人もたくさんいることだろう。
 私は、自然の味を知らない人を馬鹿にしているのでは、決してない。いや、蔑視してしまう心を強く戒めなければいけないと思う。そして、同じ地域に住んでいながら、あまりにも文化的背景の違いが開いてしまうことに、危機感を抱いている。
 好むと好まざるとに関わらず、同時代を一緒に生きていくのだから。