1年目の節電

 今日、あるフランチャイズの飲食店に入ったら、客席の暑かったこと。
 先日、ある病院に行ったら、さんさんと日光が差し込む病棟待合室に、こうこうと電灯がついていた。病棟とはいえ室温は28℃だった。
 ドナルド・キーン氏は日本国籍取得後の記者会見で、震災後の日本について「率直に言って、がっかりしている」「直後は東京からあかりが消えエレベーターも止まり『力を合わせて東北の人を助けている』と感じたが、いまは明るく、必要のない(電光)看板がたくさんある。東京だけではない。もう忘れているのではないか」(朝日新聞の記事)と述べたと報じられた。
 私も同じく感じるところがある。
 あの頃、必要な人には必要なはずの駅のエスカレータ−がことごとくに止まり、もっとほかに節電すべきところがあるのではないか、と怒りを覚えたくらいだが、今は、このざまである。

 復興支援の掛け声が大きくなると、掛け声を上げているだけで、何かをしたような気分になることがある。それなら必要以上の掛け声など上げない方がまだ“まし”なのではないか。
 復興支援の掛け声は、企業の広告のキャッチコピーではない。

 自分の足下をしっかり見つめ、それぞれのやり方で、まず社会と政治にきちんと向き合うこと、が大切だと思う。
 自分の日常を一人ひとりが大切に生きるということを忘れてしまったら、次の地震の際には、もうわが国は保たないのではないか、と心配になってしまう。