へりくだって相手を讃えるという文化
自分や自分の身内あるいは所属している社会をのことをへりくだって(謙遜して)、時には、もうこれ以上に愚かなものはない、とばかりにへりくだって相手のことを讃える。相手は、へりくだった事柄について辛抱強く否定し、そのうえで逆に相手を讃える。
こういうマナーは一種の文化で、かつてはある程度以上の公式な場では、日本で当たり前のように見られた。いや、今でも見られるが、いつの間にか少なくなったような気がする。
これは文化であるから、すぐれているとか、そうでないとか、そういった価値判断はできない。もちろん好き嫌いはあるだろうが。
ただ、このマナーをしっかりと身につけてきた人と、この文化が薄れてから育った人、まったく触れたことのない人との間には、さまざまなギャップが生まれてしまうのではないかと思う。
私は、まだこのマナーのしっぽの方にぶら下がっているから、理解できるし対応できる。それほど嫌いでもないが、しばらく離れていると急にそこに触れた時に驚くことはある。
ただ、私は文化という点では、懐古的で保守的な部分があるので、こうしたマナーが薄らぐことに寂しさと、それからまったくこのマナーを知らない人と接した時のお互いの苦労を憂う気持ちはある。