「信じるなよ、男でも、女でも、思想でも。ほんとうによくわかるまで」

 五味川純平の小説『戦争と人間』の中にこんな台詞がある。
 親のない、兄と弟、この世でたった二人きりの身内の、この兄が、昭和の初め頃、戦地へ赴くことになった。その最後の夜に下宿の二階の布団の中で、兄が弟に語る台詞である。
 「信じるなよ、男でも、女でも、思想でも。ほんとうによくわかるまで。わかりがおそいってことは、恥じゃない。後悔しないためのたった一つの方法だ」
 「威勢のいいことを云うやつがいたら、そいつが何をするか、よく見るんだ。お前の上に立つやつがいたら、そいつがどんな飯を食い方をするか、他の人にはどんなものの云い方をするか、ことばや、することに、裏表がありゃしないか、よく見分けるんだ。自分の納得できないことは、絶対にするな」(光文社文庫版の第2巻から)
 私がこの台詞に最初に触れたのは、映画化された中である。山本薩夫監督による日活の同名映画で、全3部でそれぞれに前後編があり、全部で9時間以上にもなる作品だ。
 出演俳優は、浅丘ルリ子芦田伸介石原裕次郎、大滝秀二、加藤剛岸田今日子北大路欣也栗原小巻高橋英樹田村高廣丹波哲郎地井武男中村勘九郎、松原千恵子、三国連太郎山本圭などなど。
 私が中学生か高校生の頃には、正月などによくこの映画をテレビ放映していた。それが大学生頃になってレンタルビデオで見ることができるようになって、数えきれないほど見た。
 この台詞の場面では、音楽の効果や、この場面に至るまでの背景があって、何度観ても泣かされるのだが、同時に、この台詞には、いつも考えさせられるものがある。
 これからたった一人で生きていかなくてはならない弟に、残せる物が何もないゆえに、そして生きて帰って来られるか分からないゆえに、大切な言葉を残したわけだが、一人で戦争の時代を生きなくてはならない、というわけではない私にも、その時々で、座右の銘になり得る。
 ふと、この映画をことを、学生の頃に何度も観たことを思い出し、ホコリをかぶっていたこの文庫本があったのを思い出し、この台詞を思い出した次第である。いま、このときに。