河口慧海の『チベット旅行記』

 ドナルド・キーンの本を読んでいて、誰であったか人物を調べているうちに、河口慧海(かわぐちえかい)に行き当たった。
 随分前に買ったきり読んでいなかった『チベット旅行記』(一〜五巻)(講談社学術文庫版)と『第二回チベット旅行記』(同)があったのを思い出して書棚から引っ張り出した。
 河口慧海は、1866年生まれで1945年に没した仏教の宗教者である。仏典を求めて、1900年当時、厳重な鎖国状態にあったチベットに、周到な準備と苦労の挙げ句に入ることができた。日本人で初めてのヒマラヤ踏破者だそうだ。私の母校、大正大学の教授を勤めたこともあった人物だ。
 読みながら、平凡社の『世界大百科事典』の「世界地図」「日本地図」を開いて、ヒマラヤのあたりを見る。
 慧海師は、インドのカルカッタからネパールを経て、ヒマラヤを越えてチベットに入ったとのことで、私は、かつて自分がそのずっと西で、中国からパキスタンへ抜けた2度の旅を思い出した。
 私は新彊ウイグル自治区のカシュガールからタシュクールガン・タジク自治県を経て、ヒマラヤの西の端、カラコルム山脈の標高6400mのフンジュラーブ峠を越えてパキスタンフンザへ入った。
 もっとも、私は、バスに乗って越えたのであって、歩いて越えたわけではもちろんないが。
 ただ、1度目の旅の時は、フンザのあたりではバスもなく、ジープを雇って、すさまじい山道を登ったのものだった。山上の部落は電気もないランプ生活だったが、あの星空のすばらしさは忘れることができない。
 こんな旅行をする機会も、もうなかなかないだろうな。