不寛容な映画鑑賞者

 先日、映画館で、私の位置から5席ほど隣の人が、上映中に袋をカシャカシャとさせた。するとその音がした途端に、待ってましたとばかり、私の隣の初老の男性が「うるさいよ、袋をガサガサと、みんな迷惑してるんだよ」と言った。そのため、私は、そこの部分のセリフを聴き逃した。
 
 もう少し待ってから、目に余るようなら、そっと注意すれば良いのに、と私は思った。“正義は我にあり”となると、こうも不寛容になるものだろうか。それに「みんな迷惑」ではなく「私が迷惑している」と言って欲しかった。人のせいにして他人を注意して欲しくはない。
 
 しかし、私もこの男性のことを言えない。映画館では、他人のマナーが気になってしかたがない。
 
 あれほど何度も携帯電話の電源を切るように放送されながらそれでも上映中に着信の音楽を鳴らす人、連れの者にシーンや出演者について上映中に解説する人、ハンカチで口をふさぐことなく咳をする人、深刻なシーンや少なくともまったく笑うところでないのに笑う人、それにつられてまた笑う人、頭をボリボリボリボリかく人、長いシーンで落ち着いていられない人、声を出してあくびをする人、エンドロールの途中で席を立つ人、エンドロールの途中でもう連れの者に感想を述べる人。
 
 ただ、変なところで笑う人は、マナーの問題ではないかもしれない。これは、映画をはじめとして、いろいろな表現作品にあまり触れていない人、とりわけ、娯楽作品以外の映像作品にほとんど触れたことのない人が一部にいるのであろう、と思う。
 
 娯楽作品でない映像作品の中には、全編を通じて、まったく笑う場面がない、つまり作者がそれを意図していない作品など、いくらでもある。
 
 ところが、現今のある種の映像作品ばかりを見ていると、制作者は必ず鑑賞者を笑わせようとしているに決まっている、と思うようである。
 
 教養やさまざな表現作品観賞の経験があれば、前後のつながりから考えても、そこが笑う場面でないことは明白なはずである。
 
 ああ、私は、何という不寛容な、高慢な、映画鑑賞者であろうか。