原爆って誰が落としたの

 今朝、まだ寝床にある時、開け放した窓の下から、子どもとお父さんとおぼしき人の会話が聞こえてきた。不思議なほどはっきりと聞こえた。「原爆って誰が落としたの」「アメリカ」。
 
 そう、そのとおり。よく聞いてくれた、よく答えてくださった。でも、「アメリカ」っていったい誰なのか。
 
 去年の8月、池袋の新文芸座で、黒木和雄監督の『紙屋悦子の青春』と『父と暮らせば』を観た。どちらもすばらしい映画だった。どちらも黒木和雄監督の晩年の作品だ。どちらも戦争レクイエムと呼ばれている。どちらも私の知人のカメラマン遠崎智宏さんがスチール撮影を担当している。
 
 先頃亡くなった井上ひさし原作の『父と暮らせば』は、十数年前に小松座の梅沢昌代とすまけいの主演で観劇した。
 
 映画は宮沢りえ原田芳雄主演である。映画館の座席で、私は涙が止まらなかった。でも、この涙はいったい何なのか。この涙の意味をしっかり考え続けなければいけないと、私は強く思う。
 
 昨晩は、永井荷風の『断腸亭日乗』(岩波文庫版)昭和20(1945)年の部分を読んだ。3月9日のところに、「夜半空襲あり。翌暁四時わが偏奇館焼亡す」とある。荷風の住居が東京大空襲によって焼け落ちたのである。同日、私の母は、向島の住居が焼け落ち、焼け出され、さまよい逃げていたのだ。
 
 この日から5カ月ほど後に、原爆が広島と長崎に落とされ、戦争は、終わる。私が生まれる19年前のことだ。