夏休み・南アフリカ・染井墓地

 夏休み・南アフリカ・染井墓地と、蝉が鳴き始めるとセットのように思い出す。
 
 三題噺のようだが、夏休みとは中学1年の夏休み、南アフリカとは南アフリカ共和国の海外向け短波放送、染井墓地は巣鴨から駒込にかけての広大な公共霊園だ。
 
 中学の頃、仲の良かった友人の一派に、私を入れて3人のグループがあった。その仲間で、海外の短波放送を聴くことが流行った。あの頃は、私たちだけでなく、BCLと呼ばれる海外短波放送の受信が大ブームになったものである。受信してそのことを放送局に知らせると、ベリーカードと呼ばれる受信確認証が送られてくる。
 
 私の家では、父が購入した八重洲無線製の、ちょっとマニアックなラジオがあった。ただ、私自身はそれほど熱心なファンではなく、時折、受信しやすいラジオ・オーストラリアとそれ以外にいくつかを聴いていた程度だ。
 
 友人らは、自由中国の声、ピョンヤン放送、ドイッチュ・ベレ、バチカン放送なども聴いていただろうか。アルゼンチン放送の受信は難しかったように記憶している。
 
 南ベトナムの放送は、ベトナム戦争末期になると、砲声が聴こえてきた、という噂もあった。
 
 南アフリカの放送は、日本語放送はないが、受信可能ではあったそうだ。ただ、放送時間が日本時間で真夜中であり、英語放送でもあったので、私には手の届かないものだった。
 
 各局が放送開始の合図で流すインターバル・シグナルを集めたレコードを誰だったかが入手して、それを染井墓地にほど近い家に住んでいた友人の家で聴いた。この時に聴いた南アフリカ放送のインターバル・シグナルが忘れられない。ギター独奏による、軽快でしかも静かな、エキゾチックなメロディーであった。
 
 夏休みは、よくこの3人で遊んだ。遊ぶといっても、話しをしていることが多かった。染井墓地で、大木と降り注ぐような蝉しぐれに囲まれて、立ったり、座ったり、歩いたりしながら、歴史のことや熱帯魚のことや英語の表現のことや戦争のことを、ずっと話した。時に、染井墓地近くの友人の家の風通しのいい2階や屋根裏部屋にお邪魔して、話しを続けた。
 
 南アフリカ放送のインターバル・シグナルを聴いたのが、夏休みであったかどうかは、はっきりとしない。しかし、蝉が鳴き始めると、30数年前の、夏休みの気分と、南アフリカのギターのメロディーと、暑い暑い染井墓地の草いきれを、思い出すのである。