孝行自賛

 自分の孝行ぶりを自慢するなどということは、まったくみっともないことなので、常識のある人間は、やらない。そこで、非常識な私がやってみることにした。
 
 ここ数週間、信州の山奥の隠居所で父と暮らしている母の、入院、手術、退院、自宅療養を通じてのことである。
 
 脳外科手術を受けた実母は、手術前から、言葉の取り違いが目立っていた。記銘力の低下も顕著であった。手術直後は、これらは一層重篤で、言葉の聞き取りも難しかったが、ICUから一般病棟に移る頃には、術前の状態に回復してきたように思われ、退院時の医師の評価も実際、そうであった。
 
 言葉の聞き取りは、入院中からとにかく耳もとで、はっきりと、しかも語彙の選択も慎重に考えて、言葉を伝えた。
 
 例えば、母の友人からお見舞いにサクランボをいただいたけれど、ICUに入っていたので、持参するわけにもいかず、申し訳なかったけれど、家で家族で食べ、先方にはていねいにお礼を伝えたので、退院できたら、また、何かおいしいものを一緒にたべよう、ということを話すにしても、「ああ、そういえば、○○さんから、サクランボいただいたけど」などと、ベッドの傍らに立ったまま急に口にしても、母はまったく理解できない。ベッドの横に座って、耳もとで、まず、○○さんの名前を何回もゆっ
くりと言い、分かったら、お見舞いをいただいたことだけを伝える。それ以上の情報になると複雑で、やはり理解できない。
 
 表情も大切で「みんなで食べちゃった」ことを困った顔をして伝えたりすると、不安がる。人間が、表情や言葉の調子で、話しの内容を理解しようとしていることがよく分かる。
 
 退院後は、言葉の言い違いについても、ゆっくりと、何度も、しかし、疲れない程度に訂正させた。そうすると、自分の言い違いについてもだんだんと理解するようになる。時にはそれを恥じるので、恥じる必要はなく、徐々に回復する旨を笑顔で伝え安心させる。
 
 私のことを、母の末弟の名前で呼ぶこともあった。東京大空襲で一緒に逃げて生き延びた私の叔父である。言葉の取り違いには、その人の生きてきたことそのものが染み込んでいることも分かる。私は、笑顔でていねいに「え、うん、僕の名前は?」と繰り返した。
 
 入院中の母の持ち物の管理も、しっかりとやってあげた。何を持っているのかを頭の中に入れておいて「あれがない、これが欲しい」と言った時に、冷静にゆっくりと対応するためだ。
 
 退院時に、頭を隠すことにも気を遣った。
 
 退院後は、うまいものを作った。私は朝飯は食べない習慣なので、それは放っておいて父と母に勝手にしてもらった。父も自分で自分の食べるものは作れるし、母も簡単な家事はできる。
 
 私は、退院後の晩飯から始めた。豚肉としめじの付け汁十割そば、干しえびと卵のチャーハンとトマトとキュウリの夏向け中華スープ、カキ(冷凍庫に眠っていた大粒の上等なカキ)と根菜と地場産ブロッコリーのクリームシチュー、地場産ニンニクをたっぷり使ったザージャー麺の地場産キュウリ添え、カレイのバター焼きと塩漬けイカとキュウリの和え物、タケノコ(冷蔵庫に眠っていたいただきもの)ご飯に庭のサンショウの葉を添えて、など。疲れがたまっていたであろう父は、大変な食欲で平らげていた。
 
 帰京する前の晩は、家から国道へ下る途中の、谷あいの田んぼに出てくるホタルを見に連れ出した。車を止めて、ハザードを点滅させると、森の中から次々とホタルが飛んで来た。母ははしゃいで、「ほ、ほ、ほーたる来い」と口ずさんでいた。
 
 月曜は祭日ながら、打ち合わせが入ってしまったので、土曜に帰京することにした。2週間後には、病理検査の結果が出て、今後の治療方針の検討も行なわれるので、また、中央道を軽自動車で疾駆することになるだろうか。