映画「二十四の瞳」

 一昨晩、池袋の新文芸座で、木下恵介監督の「二十四の瞳」(1954年)を観た。
 
 名作ともされているし、私にとっての大きなテーマである、先の戦争を描いているので、前々から観たいと思っていたが、なぜか機会を逸していた。2007年にデジタルリマスター版が作られた時にも、見逃した。それをようやく観ることができた。
 
 何しろ、とにかく涙を搾り取られる映画との評判なので、できるだけ平静でいようと思ったのだが、そうはいかなかった。
 
 しかし、泣くのは観客だけでなく、主人公の「おなごせんせい」高峰秀子が、劇中でよく泣くのである。それも、教え子のために何度も何度も泣く。この、一緒に泣くというのは、悲しみの渦中にある人にとって、おそらく最も慰められることではないだろうか。もちろん、泣けば良いということでなく、一緒に泣いてしまうほどに、当人に共感しているということが、本質的に大切なのだが。
 
 ただし、おなごせんせいは、いつもメソメソしているわけではなく、強くあるべき時には実に強い。芯の強さがあるからこそ、他人の悲しみに共感することができて、その共感が大きいからこそ、つい泣いてしまうのだろう。いろいろと勉強させられた。
 
 映画は、本当にいろいろなことを勉強させてくれる。
 
 この新文芸座、まだ昔の建物の頃、学生時代に随分と通ったなあ。今はなくなってしまった銀座の並木座にも。懐かしいなあ。