『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』を観た

 『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975年 新藤兼人監督)という映画を渋谷で観た。
 溝口健二は、小津安二郎黒澤明と並ぶ、とりわけ海外で非常に評価の高い映画監督とされている。戦前の大正末期から撮っていて、1956年に58歳で亡くなっている。
 溝口健二の映画は『西鶴一代女』(1952年)を学生の頃に観たのが最初であった。三船敏郎も出ているということと、日本映画史上の名作であるということだけは知っていて、何か爽快になるような時代劇を勝手に期待して、そうして観て、勝手にがっかりした。
 ところが、それから20年近く経て、2006年に溝口健二特集で同作品を観た時には、そのすばらしさが分かって、自慢するわけではないけれど、自分も少し歳を重ねて、得てきたものがまったくなかったわけではなかった、と何やら一安心したものである。
 さて、この『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』は、ビデオで何回か観たことがあったが、まずもってなかなか映画館では上映しないであろうと思われたので、上映情報を目にして、勇んで出かけたのである。
 溝口健二という人は、映画制作における完全主義的な姿勢や、対人関係のエキセントリック振りで逸話が大変に多いそうだ。
 この映画は、制作時の1975年に存命だった映画関係者らが大勢出演しており、監督の新藤兼人自身は、かつて溝口健二の助監督であったが、新藤が彼らにインタビューをした映像で構成されているドキュメンタリー映画だ。 
 日本映画草創期のエピソードを語る、1975年の時点で最晩年87歳のカメラマンもおり、太陽光線だけで撮影していた当時の様子はまた、溝口健二に関しての思い出とは別に迫力があり、私はそのインタビュー部分も大好きだ。
 出演俳優や裏方らが語る溝口健二に関する話題には、エピソードという情報そのものよりも、それを語る人のエネルギーそのものが濃縮されている。溝口健二という大きなエネルギーを持っていたであろう人間の思い出を語る人間もまた、大きなエネルギーを発しており、それがうまい具合に映画作品として結実している、と私は思った。
 モーツァルトの『ピアノ協奏曲27番』第2楽章の静かなテーマがオープニングに掛かり、途中はずっと音楽がなく、エンディングに再びこの曲が掛かり、上映時間150分の長編ドキュメンタリーが静かに終わる。
 私は、この映画にエネルギーをもらったのか、それとも吸い取られてしまったのか、ぐったりと疲れて映画館を出た。