上諏訪駅近くの立ち食いそばを食って巣鴨駅近くの「スタンドそば」を思い出す

 連休の前半、信州の親の隠居所へ行く小旅行は、いつものように鈍行で東海道線飯田線、中央線の旅をした。
 帰途、中央線の上諏訪駅で乗り換えついでに、やはりいつものように立ち食いそばでも食おうかと思った。しかし、駅の構内にはない。売店の店員に聞いてみると、駅からすぐのコンビニの中に立ち食いそば店があるという。
 これはおもしろそうだと思い、雨の中、傘を持っていない私は、改札を出て右の小道を走って行くと、ごく普通のコンビニがあり「そば」と書いた濃い紫色ののぼりが見えた。
 なるほど、店内の一角が立ち食いそば屋になっていて、まことに珍妙な景色である。そこだけ木のカウンターがあり、券売機が置いてある。
 「天ぷらコロッケそば」という品書きがあったので、その券を購入した。しかし、カウンターの中には誰もいない。コンビニの店員が立ち食いそばの店員も兼ねているのだった。
 レジに行って店員に声を掛けると、中から出て来て、そばのカウンターの中に入った。

 立ち食いそばというのは、そばそのものよりも、店によってはその様態が、時に不思議な感じと懐かしさを、私には覚えさせる。私は、初めて食った立ち食いそば屋を思い出した。
 山手線の巣鴨駅から繁華街を抜けて、もう間もなく閑静な住宅街に入ろうという境界線上に、私が高校生の頃まで小さなバーやスナックや居酒屋が固まっている一角があった。
 すべて同じ形の2階建てが密集しており、今思うと、巣鴨の戦後復興の面影があった。
 その角に、立ち食いそば屋があった。濃い紫色ののれんには「スタンドそば」と白く抜いてあった。それはその店の形式を表している言葉であったが、そういう屋号だったのかも知れない。
 四角い建物の角を少し切って入口にしているが、入口正面のカウンターは四角の対角線上にあるため、カウンターの両端は、食う側も調理側も極端に狭くなっていた。客は4人入るとかなり窮屈になったと思うが、自分を含めて2人以上の客が入っているのは見たことがない。
 
 なぜあんな場所にあったのかと思うが、おそらく酔客を当てにしていたのだろう。周辺の水商売の店員たちにも便利だったかも知れない。
 たぬき、きつね、天ぷら、月見、わかめ、ちくわ天のそばとうどんがあったと思う。うどんは食ったことはないが、そばはふにゃふにゃであった。しかし、つゆは出汁がきいてなかなかうまかったと記憶している。コップの水は水道水をそのままくんだもので、冬はともかく夏はぬるくてまずかった。
 中学3年の後半に、夜半まで受験勉強の振りをしていて、そうして家を出て食いに行ったのだと思う。一人で外食をした初めてのことで、寒い夜であった。それから何回も行った。
 飲食店とはいっても、材料はすべて仕入れてくるのだろう、調理はそばやうどんを温め、具をのせ、つゆをかけるだけであった。
 店員は時々、違う人に変わったが、どの人もあまりおもしろそうに仕事をしているようには見えなかった。そしてどの人も客に対しても笑顔を見せることもなかった。
 けれども私は、そこに行って「ちくわ天そばください」などとぼそっと言って、その簡単な調理をながめ、お金を払って、唐辛子をたくさん入れて、だまって食って、水を飲み込んで、出て来るのが好きだった。
 こちらがガキだろうが何だろうが、店員は気にしなかったし、第一、客である私に対してまったく関心を示さないのが、心地良かった。
 受験がおもしろくなかったから、そういう、全然”嘘“がない、あの立ち食いそば屋の様態のすべてが好きだったのかも知れない。
 いつだったか、私がやはり夜半に食っていたら、一万円札で払おうとした客がいた。無口で下ばかり向いている店員がこの時は顔を上げて「一万円札なんて持って来たって、釣りないよ」と、はっきり大きな声で言った。けれども、あまり感情的ではなく、困り切ったというほどでもなかった。
 客の方は困っていたが、その後どうなったかのかは知らない。私は、味も色も濃いつゆをすっかり飲み干して、出て来てしまったからだ。
 そういう生身の人間の活きた言葉でのちょっとしたやりとりも、やはり今思うと、おもしろかったのかも知れない。
 こういうやりとりを、若いうちに見聞きしないと、世の中に出てもなかなかおもしろがることができない、などと、たかが立ち食いそばのことで、おもしろがることができた。