子どもの頃から青年期まで、新年に至る大晦日のカウントダウンには、何か異常なほどの脅迫的な期待があり、その瞬間をしっかりと自覚することが一大事のような気がしていた。
いつだったか、その変わり目の時に、姉が入浴しており、テレビでのカウントダウンの瞬間を姉が見ていないことを、この上もなく愚かしく惜しいことだと思ったりしたものだった。
今は、年の変わり目を感じる期待がなくなったわけではないが、静かな気持ちである。ここ数年は、大晦日にテレビを見ることもほとんどない。
ゆっくり本でも読みながら、そろそろと年越しそばを作り始める。やがて外の2方向くらいから、遠く、もっと遠く除夜の鐘が聞こえてくる。