シリーズ「電車で業」1 大あくび

 前にも書いたが、電車の中での他人の大あくびを見せられるのが、苦痛だ。
http://iwama.books.officelive.com/watakushi04.aspx
 電車の中、駅の構内も含めて、ああいうところが、公共空間の中でも、そこに集まる人々の多様さ、年齢や性別はもちろんだが、その文化的背景や生活史においても、実にさまざまの最たる場所だ、と思う。
 それだから、いろいろな発見がある。
 私は、現在は通勤をしていないので、電車には週に2、3回乗るだけだが、むしろだからこそ、電車の中での人間の「業(ごう)」を見ることができる、と思っている。
 それで、電車の中の人々の模様をシリーズで書いてみようと思う。ホームページの方の連載にするほどではない、というくらいの、「業」などと称している割りには軽いものだ。
 さて、それで、大あくび。大あくびがいかに苦痛か、ということは前にも書いたので、大あくびを苦痛だと思う、自分の業を書いてみる。
 なぜ苦痛に思うのか、それは簡単に言うならば「自分だって大あくびをして、世の中に出ているという重圧から逃れたいけど、我慢して、公共性を保とうとしている。にもかからわず、あの人は、何も考えないで大あくびなんぞしやがって」ということだろう。
 さらに言えば「こちらは、世間に気を遣って、懸命に生きている、だからこそ良い人生が送れるはずなのに、あんな風に、他人のことを気にしない奴でも、良い人生を送ることができている(かも知れない)。そうだとすると、気を遣って公共性を保っているだけ、自分の方が損じゃないか」ということかも知れない。
 面倒臭い。
 最後まで読んでくださった方も、さぞそうお思いだろうと思う。